幼生転移仮説の番外編:名著に書かれた記述、そして、幻の論文の探索。
①リン・マーギュリス博士の名著に書かれ、長い間気づかなかった、共生に関する不可解な記述について
リン・マーギュリス博士の名著であるSymbiosis in Cell Evolution第2版が1993年に世に出て、この日本語訳である「細胞の共生進化第2版」は、現在は学会出版センター(現在は倒産して存在しない)より2004年に世に出た。当初は細胞小器官や細胞分裂の起源が異なる生物の共生関係で生まれたという展開に興奮して読み込んだものだったが、今になって、ドナルド・ウィリアムソン博士の論文を引用していることに、ふと気づいたのだった。
下巻の第12章「顕生代の成果」において、p.413にその記述はあった。購入時はすでに博士の幼生転移仮説を知っている身の上であったが、私の頭が悪いからだろう、その記述に違和感を一度も覚えたことは無かった。以下になる。
棘皮動物に見られる幼生と成体の不一致は、若い個体が類縁関係の離れた種類の胚を共生的に取り込んで保持していることによって生ずる(Williamson, 1987, 1992)。
2件の引用文献については、1992年のものは私の原点である「Larvae and Evolution」になり、1987年のものは、Incongruous Larvae and the Origin of some Invertebrate Life-Historiesと題された論文になる(両者のリンクを以下に示す。後者は無償では入手できない)。いずれの文献にも、幼生世代の形質を、雑種形成による遺伝子の移動により、個体発生として獲得することが主張されている。従って、若い個体の体内に胚が共生し、やがてその胚がその個体の発生過程の一部になったかのような、ミトコンドリアや葉緑体の細胞内共生のような過程を連想させるような記述は、残念ながら見当たらないのである。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/007966118790005X
私自身が原著を持っていないこともあり、原文がどのような英文になっているかまでは追わないが、マーギュリス博士もウィリアムソン博士もすでに故人であるので、この記述になった経緯はわからずじまいである。だが、彼女は1987年の論文を掲載させるために、ものすごい苦労をしたことを、インタビューで語っている。(詳細は以下の過去記事である<外伝>その8を参照)。おそらく、執筆または翻訳の過程で、上手の手から水が漏れたように、偶然書き損じたのかもしれない。私はそう考えている。
細胞内共生説で有名なマーギュリス博士が編集した書籍「Chimeras and Consciousness: Evolution of the Sensory Self」には、ドナルド・ウィリアムソン博士が幼生転移仮説について書いた総説が掲載されているが、引用文献として、2012年に「Evolution from the Galapagos」という書籍に「The origins of larvae and the demise of Haeckelian zoology(印刷中)」との記載がある。
Chimeras and Consciousness: Evolution of the Sensory Self
https://www.jstor.org/stable/j.ctt5vjpgg?turn_away=true
直訳すれば「幼生の起源とヘッケル流動物学の終焉」となるこの論文については、結論から述べると、掲載されていないことが、私自身の探索の結果、明らかになった。
以下の”Flying What? Symbiosis retracts paper claiming new species arise from accidental mating”と題するブログにも、博士が前述の題名で論文を出す予定だと書かれているが、実際に、「Evolution from the Galapagos」を出版した会社に確認したところ、掲載はされていないので、2007年の「Origins of Larvae」を読んでほしい、との返信であった。
私は、2007年のAmerican Scientistに発表済みの論文(以下リンクを貼る。しかし、2012年発刊の書籍の問い合わせで、2007年の文献を案内されるのも、年度が前後しており、個人的には納得はしかねるが…)も含め、博士が手がけた幼生転移仮説に関する書籍および文献でエルンスト・ヘッケルを引用した箇所を確認した。
http://bio-nica.info/Biblioteca/Williamson2007OriginsOfLarvae.pdf
得られたのは、以下の情報である。
・個体発生の胚および幼生は先祖の成体のミニチュアになり、進化は主に個体発生の結果生じる成体に限られる。
・個体発生は系統発生の短く速い反復である。
・棘皮動物と半索動物の祖先は共通であり、それはトルナリア幼生を有した左右相称の動物である。
・ホヤのオタマジャクシ幼生はオリジナルの尾索類であり成体のホヤの体制は後から進化した。
・動物の起源を、ボルボックスのようなブラステラから進化した二胚葉性のガストレアに求め、ボルボックス様の原生動物を想定した。
以前の記事に取り上げた1974年の文献の導入では、博士は、ヘッケルの反復の理論を棄却するには、対象となる動物の幼生および成体形質の両方(例えば、一般的に一種の動物の個体発生として受け入れられている、ヒドロ虫綱のヒドロ虫の時期とクラゲの時期を比較検討するように)を解析する必要がある、と述べている。
ヘッケルによる個体発生がそのまま進化の歴史を反映しているという考えが過去から現在への一直線に例えるなら、博士の幼生転移仮説は、様々な直線が網状に絡み合う、あみだくじが過激になった考えに表現できるだろうか。この掲載されなかった論文については、博士が他界しているため、熱烈に執筆したが却下されたのか、最初から取り組まなかったのかについては、探る手立てがないのが残念だが、もし博士の遺族がお持ちであるのなら、拝読したいという気持ちは、私の中で消えることはないだろうと思う。