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<竜>華麗な緑のウミウシの一生を司るウイルスについて

生物がウイルスによって進化したことを紹介したフランク・ライアン氏の名著「破壊する創造者」は、ユニークなウミウシに関する記述で始まっている。Elysia chloroticaというウミウシで、木の葉のような形をした、緑一色の華麗なウミウシである。軟体動物の植虫類に属し、変態後は決まった藻類に付着し、これを食べて過ごすが、その葉緑体だけを消化管の内側にある細胞にしまうのである。また、この藻類の細胞からウミウシの細胞核に遺伝子が受け渡された報告がある、との記述がある。要するに、このウミウシは藻類から盗んだ葉緑体の光合成で生き続け、その遺伝子の一部をも我が物にしているのだが、この本には、その遺伝子の水平移動にあるレトロウイルスの逆転写酵素が関与していること、そのウイルスは古い系統に属すること、更に、春が来てエリシアの産卵が終わると、エリシアは必ず病気になって死に、その体内にはウイルスが充満していることが、記述されている。また、人工海水で飼育しても同じ病死が起るので、体外からの環境因子が原因ではないとされている、とのことである。


巻末に引用文献が掲載されていたので、このウイルスのことがもっとよくわかるのではないか、と思い、ダウンロードして確認した。1999年のReference Biological Bulletin誌に掲載された、テキサスA&M大学のピアース博士らの報告である。エリシア体内でウイルスを初めて発見したのは1990年のことで、一生を終えようとしていたエリシアの消化細胞および血球で、このウイルスの存在を発見したのだという。核内、細胞質内、葉緑体内でウイルスの存在を確認したという電子顕微鏡写真が、掲載されていた。核内ではキャプシド、細胞質内では更に膜に覆われた構造をしていた。キャプシドは正二十面体であり、膜の形も含め、レトロウイルス科に似ていたが、既知のレトロウイルスで核内に集まる性質を持つものは知られていなかった。また、葉緑体内では結晶の格子のような構造だったが、既知のRubisCO(炭素固定反応に必要な酵素である)の結晶とは明らかにサイズや形が異なっていた。研究チームでは、更に一年を通したウイルスの有無について調べた。秋および春のエリシアの懸濁物を作成し、各々の逆転写酵素活性を調べた。春の懸濁物は秋の倍以上の活性を示した。また、抗生物質の一種リファンピシンを加えての活性抑制は、秋の懸濁物のみに見られた。このことは、秋で見られた活性はDNA依存性のRNAポリメラーゼによるもので、ウイルス由来ではないこと、そして、春で見られた活性はウイルス由来であることを意味していた。つまり、秋にはウイルスは不在ということになった。当時、ピアース博士らは、考察として、内在性のレトロウイルスの遺伝子がメンデル遺伝で子孫に受け継がれていくか、葉緑体あるいはウイルス粒子として受け継がれているのではないか、と考えていた。また、2-5℃の低温飼育もしていたが、エリシアの死期を6-8週間延ばすに留まった。温度だけがウイルスの活性化を起こす要因とはいえないと考えられた。


ピアース博士らは、その後もエリシアの研究を続けたが、その内容は体内に共生させた葉緑体とその遺伝子に関するものが多いものの、ウイルス自体の研究については非常に少ない。2003年のInvertebrate Biology誌では、エリシアの病死する過程を組織レベルで観察した結果を報告している。光学および電子顕微鏡での組織観察から、この病死はアポトーシスに似ていると考えた。アポトーシスに特徴的なDNA断片化やクロマチン凝集などの現象が確認された。そして、肝心のウイルスだが、オートリソソーム内にウイルス粒子が含まれる像を得ている。より小さなリソソーム内にも、膜を欠く小さなウイルス粒子が含まれているとのことだった。この像より、1999年の論文で葉緑体内にあったとした構造は、分解されたウイルスだったのかもしれないと考えた。消化上皮細胞のウイルス発現がオートリソソーム形成の初期で起り、アポトーシスを誘導しているのではないか、とピアース博士らは考察したのだった。


しかし、エリシアのウイルスに焦点を置いた最新の報告については、2016年のReference Biological Bulletin誌まで、残念ながら発表を確認できなかった。この2016年では、ウイルスの転写酵素ドメインを含むタンパク質がAplysia californica(ジャンボアメフラシ)およびStrongylocentrotus purpuratus(アメリカムラサキウニ)に類似することがわかったので、この情報を基に6060塩基対のゲノム配列を決定することが出来た。しかし、BLAST解析で相同性のある配列情報を検索したが、前述の2種の動物においても、全配列のわずか5-16%に留まるという、確かな機能などの情報を特定できない結果になった。言い換えれば、全く未知のウイルスゲノムであることがわかった。更に、このゲノム配列で系統解析を試みたところ、最も近縁なのは、様々な後生動物で見つかっているレトロ因子の一種として知られる、Bel/Paoファミリーであった。このファミリーとの共通点については、考察はなされていなかった。


華麗なる緑のエリシアに攻撃的に共生しつづけるウイルスの知見は、以上になる。1999年の論文の図6に掲載されたウイルスの電子顕微鏡像はその存在を明瞭に示しており、美しい。とはいえ、本ウイルスをゲノム編集などの手法で機能不全にしたらエリシアの生活環はどうなるのか?アポトーシスに始まる病死は起らないのか?盗んだ葉緑体の光合成に影響はあるのか?秋にウイルスが発現しない仕組みは何か?その仕組みを永久的に働いたままにできるのか?など、未解明の事項があまりにも多い。いずれにしても、二者は共在して、私の個人的興味を沸かせてやまない<竜>であることは確かだ。



引用文献

破壊する創造者 フランク・ライアン著 早川書房 2011年

Annual Viral Expression in a Sea Slug Population: Life Cycle Control and Symbiotic Chloroplast Maintenance Sidney K. Pierceら著 Reference Biological Bulletin 197: 1-6 August 1999

Apoptotic-like morphology is associated with annual synchronized death in kleptoplastic sea slugs (Elysia chlorotica) William L. Mondyら著 Invertebrate Biology 122(2): 126-137 2003

A Preliminary Molecular and Phylogenetic Analysis of the Genome of a Novel Endogenous Retrovirus in the Sea Slug Elysia chlorotica Sidney K. Pierceら著 Reference Biological Bulletin 231: 236-244 December 2016


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