高校生のある日の自分
私が、人とは少しちがうんだと感じたのは、高校生のとき。
神戸のインターナショナルスクールに電車で通っていた。
ある日、帰り道、電車で、生物の教科書を読んでいた。目の前に座っていたおばちゃん2人の会話が、耳に入ってきた。
「ねーねー、あの子みて」
「ホントだー、英語の本だ」
「なんの本かしら」
「日本人の顔してるのに、日本語しゃべらないのかしら」
「ああいう子が増えたら、日本も大変よねー」
「日本の将来がしんぱいよねー」
「・・・」
いやいやいや・・・
私に聞こえてるんですけど!
「あのーなにか?」と言いかけたところで、おりる駅に着いた。
相手に聞こえているかもしれないのに、その想像ができない、大人。
日本にいるのに、日本語がヘタになっていくことに、コンプレックスを感じ始めていた、自分。
「相手の考え方が悪い、私は悪くない!」という思いと、「自分はちょっと変わってる、だから周りに気を遣って合わせなきゃ!」という二つのアンビバレントな感情の間で、常にジレンマを感じる自分はこのころからスタートした。
20年経った今も、このジレンマのループにハマっているときがある。
英語人のように自信満々な顔をしているくせに、他人の目を異常に気にしてしまう、この性格は、この頃から培われた、と思っている。
今日もがんばれ、自分。
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