単語のイメージは大事?~「地方」編
長崎弁で「ばっでん」と言う。
「でも、しかし」という意味の方言だ。
この言葉の語源は、英語の"But then"という説を、ご存じだろうか。
※諸説あり。
長崎では、「後で君の家に行くね」というのを、「後でおまえん家に来るけん」と言う。相手の立場に立ったとき、自分があちらに行くわけだから、相手のことを慮って表現するわけだ。
実は、これも、英語と同じ。英語でも、相手のもとに赴くとき、"I am coming!"と言う。
この、「相手を視点に置いた文章を作る」というのも、昔から海外の人が多かったから、という説がある。
※諸説あり。
地方の方言では、案外異国の文化が混じっていたりするのだ。
「地方の衰退」や「地方の再生」に関して、活発な議論がなされる昨今。
それ以前に、まず日本人の、地方の「イメージ」を教育し直すべきだ。
「地方」という言葉に、「田舎、田んぼが広がる、のどかな場所」以外にあまり良いイメージをもっていない人が多い日本語を、変えたほうがいい。
幼い頃から海外と関西を行ったり来たりしていた私は、大人になり、東京に引っ越してきたが、「都会vs.地方」という概念に、日本人の「プラスvs.マイナス」のイメージを重ね合わせるのに時間がかかった。
「田舎」と言うと、「自分の出身地」という意味合いも含まれ、それほどマイナスなイメージがないような気もする。つまり、単語でイメージを使い分けている日本人が多いのだ。自分の故郷に帰るときは、「田舎に帰る」。だけど、衰退していて、なんとかして再生させようと政府ががんばっているのは「地方」、というわけである。
英語では、「地方」= countryside、regionなど単語は、それ自体にマイナスな意味合いはない。もちろん、小説で田舎者が都会に出てきて・・・というストーリーはある。だが、その場合は、その田舎者がいかにシャビ―な格好をして、無知で、・・と「田舎者」の描写が続く。つまり、「countryside」自体に、卑屈な感情を抱かせる意味合いはないのである。
日本では、「イメージ」作りがヒジョーに大事だったりする。一旦、そのイメージがつくと、似たような考えをもつ大衆が一気にその考え方に染まりやすいからだ。東日本大震災後の風評被害で特定地域の農作物が一気に売れなくなったのが良い例だ。
普通名詞に「イメージ」をのせることは、想像したり思いにふけったりするのに大切だ。だが、この「イメージ」に影響を受けると、それ自体にあまり知識がなくても、知ったような気分になり、その「なんちゃって知識」に従って行動し出すことは、危険だったりする。井の中の蛙状態になり得るのだ。
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