車いす専用の環境は完璧?この点に関して、日本人と外国人の違いを考えてみよう編
日本の地下鉄の駅にも、だいぶ車イスや足の不自由な人用のエレベーターが設置されるようになった。
これを、「日本はこういうのをすべて整備してすごい先進的だな~」と思う?
だが、先日足の悪い友人と駅に行ったとき、エレベーターを求めて駅の端から端まで何度も歩かされ、「すべての駅にエレベーターが実装されている」とはいうものの、その実態は、まだまだヒドイなと思わされた。
これを、「日本はまだまだだなぁ」と思うか?
どちらを感じるにせよ、一つ、私が20年前、カナダに住んでいたころ、本当にあったストーリーを、お話したいと思う。
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カナダでは、地下鉄やバスだけじゃ移動が不便で、国際免許を持った父が、四苦八苦して、慣れない右側通行で車を毎日運転していた。
今思えば、日本でペーパー免許だった父にとっては、かなりの負担だったはず。
その「運転が思いのほかジェットコースター」な父が、一番苦手とするのが、スーパーでの駐車だった。
ま、土地だけは腐るほどある、この国で、駐車が難しかったわけではない。
だが、やはり父としては、スーパーの入口になるだけ近いところへ駐車したかった。だが、北米の駐車場は、これでもか!という駐車場スペースの中で、入り口に一番近いところは、95%が車イス専用の駐車場。だから、父が駐車する場所は、空いていれば必ず、車イス専用スペースの隣だった。
バックや切り替えしが上手くない父にとって、必ずといっていいほど空いている車イス専用スペースのラインを横切ってしまうこともしばしば。
そんなとき、それを見つけた近くの人が、結構父の車に近づいてきて、「おい!そこ!車イス専用だから、絶対駐車するなよ!」と声を荒げて近づいてくる。
そいつは車イスの人か思うと、ほぼ違う。
一見、人にほとんど関心がないアメリカ人は、こういうとき、ここぞとばかりに強い正義感で「間違えている」ことを主張する。
これは、地下鉄やバスでも同じ。
どの席も空いているのに、自分が座った席の前に、杖をついた高齢者が立つと、その席を譲ってあげる、という暗黙の了解がある。譲ってあげないと、他の人からのクレームがくるのだ。
そういうこと、日本で経験したことある?
必ず、レディーファーストだし。
アメリカの人は、イギリスから土地や自由を求めてやってきた人が祖先に多く、戦って自由を勝ち取ってきた、という思いがある。そのため、
「弱い者は全力で自ら守り抜かなければならない」
という精神が、みなぎりあふれているところがある。
そのため、女性や子ども、立場の弱い人たちを守らないで、誰が偉そうな顔を出来るのか、みたいな教育が小さいころから、植え付けられている傾向にあるのだ。
人の目を気にしたり、集団の中でのハーモニーを重んじる日本人より、そういう主張が強い、って意外と思うのは、私だけ?
やっぱり、小さいころからの教育はすごいな、と思う。
そういう教育を日本でももっとしてほしいと思う。
そして、アメリカ英語はそういう文化がみなぎっている言語であることを、忘れないでほしい。
アメリカの文化を知っていないと、英語を書く時、恥をかくことがある、というお話 ↓