あなの話
Mリーグを久々に見ていましたが、面白さを感じず東2局で画面を閉じたワシ
と、いう事でnoteをカキカキ・・・
今回は”あなの話”なのですが、ANAではなく”アナウンサー”でもなく、
”穴”で苦労した話です。
2010年1月のこと。
いつものやうに、札幌の某麻雀店で麻雀中に・・・
右胸が少しだけ”チクっ”とした。
本当に少しだけ。
その日はその後何ともなく、翌日の昼過ぎにお客様と打合せしていた時、
”話をしていて、息が続かない”という体調異変が起きた。
30秒くらい話していると、苦しくなり咳き込んでいたのである。
なんとかこの日は仕事を終えて、一晩たてば良くなるのでは?
と淡い期待をしたが、翌日はもっと酷くなっていた。
この日は早退し、翌日の客先訪問に備え自宅でゆっくりした。
翌日、体調回復の兆しはなく、客先で打ち合わせしていたが・・・
咳き込んでしまい、ハンカチを口にあてたのだが・・・
ハンカチに血が・汗
血が出ていました。
お客さんが凄く驚いてましたが、ワシも驚きました。
咳き込んで血が出たので、PM予定キャンセルして医師に診てもらう事に。
金曜日のお昼近くに札幌駅直結のクリニックへ
ここで診察・検査をしてもらったところ
”右肺に穴があいていた”のであった。
牌ではなく肺だ!!タバコを吸わないワシの右肺に穴がポッカリ・驚
診察を終えた医師が
『紹介状を書きますので、国立病院機構○○○病院へ行ってください』
と指示された。金曜日のお昼ちょい過ぎだった。
先生に『月曜日の朝いちばんでもいいですか?』と尋ねたところ、
『ダメです。今すぐ行ってPMいちばんで診察を受けてください』
とキツメに言われた。
この時、時間が一瞬止まった気がした。
病院行く前に、札幌駅そばにあった職場に戻り状況報告をし病院へ。
紹介状とレントゲン写真等を受付に出して、古い診察室へ案内された。
病院建て直しをするらしく、最近使用していない部屋に通されたのだ。
待つ事30分、人が来る気配が無いので内線電話で問い合わせたら、
『まだお待ちください』
と言われるだけ。
1時間・・・2時間・・・と経過するが医師が来る気配が無い。
ワシ診療室のベットで横になってた。
2時間30分くらい過ぎた頃に若い医師が来て、
『大変申し訳ありません。○○先生、本日診察出来ないので月曜日にまた来てもらえませんか?』
と言われる始末。
怒り爆発のワシだったが、体調の事もあり疲れ切ってタクシーで帰宅した。
後日知ったのだが、何故診察されなかったのか?
理由はコイツ
2009年夏の総選挙で、自民党が下野したときの関係者で、
札幌に講演に来ていて、札幌医師会の医師たちが出席してたらしいのだ。
ワシは、この政界をかき乱すだけの男のせいで数時間放置され、
早く診察を受ける事を指示されたのに、3日も無駄にすることになった・怒
政治家 小○○○>>>患者・ぷくぷく
という事だったのだ。無力さを感じた・寂
不安を抱えたまま土日を過ごす事になり、単身赴任生活だったので、
妻に電話で状況を説明した。最悪の事も考えて・・・
週明けの月曜日、紹介状宛先の医師が診察してくれた。
カメラ入れて、血液採取もして・・・・
結果、癌では無いという事に。
次に疑われたのが結核
結核の検査結果が出るまで1週間出勤停止となった。
感染の可能性があるから、致し方ないのだが職場ではちょい混乱が・汗
1人暮らしだったので、自宅隔離という事になり閉じこもり生活へ突入。
3日ほど経ち、食料が・・・米とタマゴとレトルトカレーばかり食べてた。
カレーが無くなり、飽きてたのもあり、人生初のピザ配達を利用した。
大きいサイズを注文し、1日かけて食べていた。
ピザもポテトも美味しく感じていたのを覚えている。
友人が食べ物を持ってきてくれた時は、涙が出そうになった。
結局、検査結果は結核では無かった。
隔離生活は解かれたが、医師に原因を尋ねたところ・・・
『ぷくぷくさん、菌はたくさんあって結核菌では無かったという事です』
要は、原因はわからんとの事らしい。
3月になり、肺の穴は塞がった。
医師から菌の種類は沢山あって・・・と菌の話を5分くらいされ最後には、
『穴が塞がったのだがら、ヨシとしてください』
と、結核の権威に言われて終了となった。
この穴のせいで、このシーズンは殆どスキーに行けなかった。
思い返せば、12月のスキー時に息切れが早かったのは前兆だったのかも?
スキー出来なかった時には、何をしていたかといふと、
勿論これ
中国語の勉強をしていました。
勿論、札幌の某麻雀店で!!
ぷくぷく