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好きに着る。

「好きに着る」

という言葉をよく見るのが着物の洋装ミックスとか洋服ミックスを愛好する界隈だ。良い言葉だと思う。着物にわか民としては、励まされる。ちょっとはすっぱなところもいい。

でもインスタとかツイッタとかで「好きに着る」を実践しているインフルエンサーの方々は結構な割合で着物愛好20年選手だったりして、実はクラシックな着付け教室での師範くらいの腕前はあったりするのに割と早期のうちに気がついた。

守破離だ。
守破離ゆえの「好きに着る」だ。

もちろん「完全に独学です」の方も素敵に着こなしていたりするけど、おそらく素敵な方はもともと身体的な勘が良かったり美術的センスのあるタイプの人なんだろうなと思った。私にはどちらもないのでまずは「守」を学ぼうと思った。概ね私は雑な人間なのだがときどきA型っぽい生真面目さが出てくるのだった。

しかし着物に親しまない50年近い生活の中では全然親しみのない文言が着物周りには多すぎる。いったん覚えても出すべきときに咄嗟にでてこない。

ついこないだも道行という単語が出てこなくて道中着道中着と連呼していた。それにしてもリサイクル羽織の無茶苦茶に裄の短いやつはどうしたらいいんだろう。

私も洋服の上に好きに着物を着るのが好きなのだけど、好きは好きでもこれでいいんだろうか、という確認は他の誰にも取れず、自分で自分にOKとかGOとか言わねばならぬ。勇気を出して玄関から外に出なければならぬ。

見る人が見たらだいぶんへんちくりんなのは存じておる。それでもこうしてみたい、こういう風に着てみたい、これをぜひ着てみたい、着こなしてみたいという、これはどういう精神状態なんだろうか。

初期の頃は銘仙銘仙銘仙銘仙正絹正絹正絹正絹と謎熱に浮かされていた時期もあるのだけど、実はいまとなってはそこまで銘仙にも正絹にもこだわりはない。ウールも木綿もポリも麻も(高すぎて手が出ないけど)素材も織も模様もこれといってこだわりがない。もはや着物であればいい。

それにつけても知らないことばかりで、知らないことをひとつでも知っていくのが楽しい。

正解とか大丈夫とかいうのにこだわりすぎて「楽しい」が潰れない程度にのんびり知っていきたい。

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