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古着物と怨念と。
着付け教室で進級をして、これまで68歳の先生についていたのが、先生の先生(78歳)に師事することになった。先生の先生は小柄で粋でおしゃれだ。着物のお稽古は、先生方のお着物を眺めるという楽しみもある。
私は富豪ではないので、先日習い始めて1年半経ってようやくお教室経由で(割引価格)お着物と帯のお仕立てを頼んだ。清水の舞台というかいささかやけくそ消費みがあるが決して嫌々ではない。観念したというのが近い。
だってマイサイズの着物なんて「良い」に決まっているじゃないか。母の形見の色無地も付け下げも普通のリサイクル着物も、丈はまあいい。なんとかなる。
しかしとにかくどれも裄が短い。ちなみに私のサイズは身丈168の裄71なのだが右腕は73だ。アンバランス。そしていい感じのリサイクル着物でも裄は68程度がほとんどなので、右手だけどうしてもニョッキリ出てしまうことになる。
リサイクル着物について。リサイクル着物は前の持ち主の怨念がうんぬんで毛嫌い? する人もいるというのは本当なのだろうか。リサイクル着物というのは基本的に誰かから「いらねーよ」と言われたが故にここにあるのではないか。
私は裄が合わねえだろな、というのはわかっていてもリサイクル着物掘りが大好きで、なかなか足を洗えないでいる。それはその見捨てられた(二束三文で手放された)着物を身請けするのはこの私! という夢を掻き立てられるからだ。
幻想と言われてもいい。しかし一期一会性に圧倒されてやまない。ユニクロやGUの服と違って同じものは二つとないから。値段は似たようなものであっても。
先生や先生の先生は「ブックオフスーパーバザール」も「メルカリ」もご存知でないので、私がお稽古の度に戦利品をあれこれ組み合わせて持参するのを目を丸くしてご覧になる。
「あなたこれ素晴らしい訪問着ですこと」「1000えんでした」「まあ(絶句)」。
それでもなかなか「ちゃんと着る」ための着物は淘汰されていく。とりあえず着たことのある着物を私はS、A、B、C、Dの5段階に分けているのだが「ちゃんと着る」ならAまででBから下は「遊び」の用途にしかならない。「ちゃんと」の基準は難しいけど、私の場合はお教室の式典に着ていけるレベルが「ちゃんと」で、正絹かポリかは問わない。
ちょっとおめかしの同窓会や宝塚観劇やお茶会、ディナーショーあたりでもAまでか。雅叙園での同窓会に源氏若紫の訪問着を着て行った(着付けは美容院で)のは気分が上がってよかった。
Bは悪くない(気に入っている)けどちょっとしたシミなどの難あり。Cは糸が切れてるとか破れがあるとかのわかりやすい難あり。お金と時間をかけて修復するかどうかは思案中。
ちなみに現状Dはないのだけど、私が手放すのがこのDの着物になるわけで、怨念もへったくれもないのだった。