嘘をついても、真実を述べても、失うときは失う
2021年の晩秋の頃であった。僕は老木に寄り添う木製ベンチに腰掛け、ぼんやりと虚空を眺めていた。コンビニで買ったおにぎりと緑茶の入ったビニル袋を腰の脇に置く。夜はすっかり明け、鳥のさえずりもにわかに騒がしく、樹々は昨夜にしたたか降った雨を含んで、しっとりとした上品な佇まいを見せていた。
「君は自分の気持に正直に生きているかね。」
気づけば一人の老人が、ベンチの反対側に腰掛けている。見かけない顔だ。僕は狼狽を隠せなかったが、正面を向き直り、ペットボトルの蓋を回しながら答えた。
「どうでしょう。若い頃に比べたら、だいぶ正直に近いとは思います。」
「本当のことしか言わない者と嘘を付く者、どちらが信用できるかね。」
「嘘は、無いほうがいいですけど。子供のころ、嘘つきは良くないって教育されてきました。嘘つきはクラスでも糾弾されました。」
「うさぎ跳びが身体にいいと言われていたな。誰もがそれを真実として疑わなかった。」
「あの、よかったら、おにぎり食いますか?」
「いや、朝食はすませたばかりだ。では、自分を守るためだけに真実を利用する者と、大切な誰かを守るために嘘を語る者とでは、どちらを信用するかね。」
「場合によりますね。SNSなんかでは、本名で堂々と嘘をつく人もいますし、匿名だけれど真実を語る人もいます。見分けるのは難しいです。」
「真実だが、良い側面しか話さない者。真実だが、どこそこの社長と知り合いだということを強調する者。嘘つきではないが、信用できない人物という判断を下さないだろうか。自分は嘘をつかないという正直者を君は信用するかね。」
「できませんね。嘘も上手にコントロール出来ている人は、信用できますかね。」
「正直者と嘘つきの境目など曖昧なものなのだよ。夜の終わりと朝の始まりの線引きが難しいように。嘘ひとつで世界が救われるのならば、君だってそうするだろう。」
「それは、嘘も真実も、善悪とは関係ないってことでしょうか。」
「本当は、妻と大げんかしてな。昨夜から何も食べていないんだ。」
「おにぎり、食いますか。」
「せっかくなので、いただくとしよう。」
(310日)
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