第2話 ゲハ
「お客さん、着きましたよ」
私達とは対照的に落ち着いた運転手は、早く降りろと言わんばかりに黙って置いたクレジットカードを素早く機械に差し込んだ。
窓の外を見ると見慣れた池田公園のイルミネーションがいつもより暗く見えた。
「ミカ、行くよ」
ミカは黙って下を向いたまま動かない、太ももに置かれた手はさっきの掴んでた力を失ってだらんとしていた。
「行こっか」
優しくミカの手をつないで無理やりタクシーからおろした、疲れてしまったんだろう。
さっきのアイナも、血も、頭から離れない。
私はボロボロのDIESELのデニムバッグからクシャクシャになったピースの箱を片手で器用に出した。蝶々の彫刻か施されたZIPPOをイルミネーションの光で探した。
震えてる指で一本取り出して火をつけようとしたら
ZIPPOのオイルがきれている。ジャッジャッとかすれた音しか出さないZIPPOをぶん投げたくなった。
なんだよこんな時に、煙草くらい吸わせろよ
気付いたミカが手のひらサイズの小さ過ぎるCHANELのバッグから金色のデュポンを取り出し、慣れた手つきで火をつけてくれた。高級ライターは火柱が綺麗で、ミカに似合うなと思いながらひと口目を思い切り吸い込んだ
「流石キャバ嬢」
かろうじで笑うとミカも口元だけで笑ってくれた。
喉に染みて少し痛い煙を吐き出すと、白く視界が濁った
繋いだままの右手は少し冷えていたけど、離さないでいようという気持ちはお互い同じだと分かっていた。
どこに行こうか、もちょっと飲もうか、も何も会話せずに池田公園の脇道を歩いた。
お姉さん達飲み屋どうですか〜
可愛いね、なんの仕事してるの
初回どうですか
絶え間なく声をかけてくるホストとスカウト達。私たちに何があったかなんてどうでもいいと言わんばかりにメイクが涙でボロボロのミカとゲボで汚れた私に見境なく立ち塞がる。2人分のヒール音を途切れさすことなく得意のスルーですり抜けて私達はあるビルの前で立ち止まった。ビルの一角、少し奥まったところにある扉
少し視線を右にずらすと錆びれた螺旋階段が目に入った
エレベーターを挟んだ横にあるその階段で、私達は今までどれだけの無駄な時間を過ごしたんだろう。
2人で歩いてたどり着く先は、もうここしか無いと分かっていた。アイナの担当と私の担当とミカの彼氏が働いているメンズバー。
「やっぱり、やめとこうか」ミカが私の右手を少し引っ張った。「いや、行くよ」私は力強く即答した。
黒い扉の向こうからクラブミュージックとマイクでコールしてる声が漏れてうるさい。
私は自分が興奮状態な事を分かっていたけど、もう引き返すことなんて出来なかった。
ミカもそれに気付いて少し心配そうに私の様子を伺っていた、なかなか扉を引けない。
黒い扉と私とミカ、睨めっこがしばらく続いた
どうする、誰に話す?話したところで何?でももう今の私たちにさっきの現実を受け止めて消化する事なんて出来ない。少しくらいは時間が経っただろうか、急に勢いよく黒い扉が開いた。ミカと私はビクッと肩をこわばらせた。溢れ出たクラブミュージックとうるさい刺青が入った腕と見慣れた顔が視界に入った。
「お、ゲハじゃん!あれミカちゃんも?」
「あ、、今日は」
「おー客様ご来店でーす!!」「いらっしゃいませー!」店の奥からこだまが鳴り響く
ああ、もう手遅れか。
リーダーのりょうさんに遮られた私の声は喉の奥につっかえてそれ以上は喋れなくなった。
「2人して今日はどうしたん、あれ、泣いとった?」
やっぱりりょうさんはそこら辺のホストとは違って、私達の様子にすぐ気付いた。顔には
はいはい、またなんかあったんやなと書いてあった
違う、違うよ今日は
いつものくだらない病んだ泣いたじゃない。
私は思いっきりりょうさんの腕を掴んだ
「おい俺先週筋彫り埋めとるんやから痛いって」
笑いながらじゃれるりょうさんの顔は見れなくて
頑張って声を振り絞った
「イナ、が、んだ」
りょうさんは八重歯をのぞかせながら首を傾げた
「なんてえ?聞こえへん!」
アイナのことなんて全く知りようも無いけれど、その態度にムカついた私は涙を堪えきれなかった
「アイナ死んだの!目の前で!」
まだ掠れていた私の声はうるさいエントランスでかろうじて通った。後ろを通った新人っぽいホストが横目で通り過ぎて行く。
りょうさんは耳をこちらに向けたまま目を見開いて目線を動かせないまま「なんて、?」と聞き返してきた
私の両肩を掴むと扉ごと外に出してもう一度聞いてきた
ヒールのかかとが引っかかりそうになりながらミカと私を押し出すと、低い声で続けた
「ほんまか」
ずっと黙っていたミカが横から嗚咽まじりに話し始めた
「アイナ、落ちてきたの、私達が退勤して帰ろうとしたら、プリンセスビルから、目の前に」
「それ、いつや」
りょうさんの目の光が無くなっていた。今日私は何回こういう目を見ないといけないんだろう
「さっきだよ、15分前とか」
「ゲハも見たんか」
「2人で見た」
りょうさんはズボンの後ろポッケから黒い長財布をだして繋がれてたチェーンを外して私に渡した。
「とりあえずここじゃ話されへんから、今日は俺がVIP通す。財布出さんでいい」
店内に入ると、何も知らない従業員が酔っ払った元気な声でこだました
「いーらっしゃいませー!あ!ゲハちゃん!久しぶりやん!」「お!ゲハ!元気しとったか〜」
うるさい、黙れ、お前らは何も知らない
しょうがないけど今日だけは全員をぶん殴りたくなった
VIPの赤い扉を進むと、私達はまた立ち止まった。そこには、そこには有名なホス狂いのショートカットのキャバ嬢とアイナの担当が座っていた。仲良さげに腰に腕を回して整った顔が2つ赤い装飾に浮かんでアイナの血の中にいるみたいだった