2023.09.28『記憶の中のホットカルピス』
昨日、旦那さんとカルピスミルク
(カルピスを水じゃなくて牛乳で割ったもの)
について話してからというもの、
カルピスの口になってしまったので
ドンキで買ってきた。
棚の上で出番を待つカルピスを見ていたら
ある先生のことを思い出したので
今日はその先生について話そうと思う。
カルピスといえば冷たい飲み物だが
私の記憶の中で唯一「ホットカルピス」の話を
していたのがその先生だ。
たしか、自己紹介とか その辺の、
教師と生徒の関係性がまだ出来てないところで
ホットカルピスエピソードをぶっ込んできた。
いつものコップでホットカルピスを飲み、
冷水で洗ったらコップが割れちゃった、的な
取るに足らない話だったと思う。
その頃、私は中学生か高校生。
カルピスを温めるなんて、衝撃だった。
絶対に冷たいカルピスが美味いのに何故?と
思ったし、今も冷たいカルピスが好きだ。
その先生の名前はもう忘れてしまったが
白衣を着ていたから、
化学とかの先生だったような……
そんなに曖昧な記憶なのに
ホットカルピスのことは覚えているから
当時、よっぽど衝撃だったのだろう。
そんなことを思い出していたら
「そういや先生達って授業中とそれ以外で
随分印象が違ったよなあ」
と、思考が飛んだ。
ホットカルピス先生もしかり。
授業中はスイッチが入ったように
「先生」を演じているようで、
それ以外では知らないおじさんのような
輪郭が曖昧になって 他者との差が
なくなるような、のぺっとした存在になった。
多分、先生たちサイドからすると
「そんなにずっと先生してらんねぇよ!」って
ことなのかもしれない。
授業中は〝先生〟としての人間であり、
それ以外は〝その人〟としての人間だとすると
当然のようにも感じる。
私たち生徒からしても、
〝先生〟じゃない大人たちを〝学校〟の風景の
一部のように見ていた感も否めない。
ただ、数人 印象が変わらない先生もいた。
あの人たちはなんだったんだろう。
一概には言えないけれど、授業中も
〝その人〟として向き合って
くれていたのかもしれない。
大人になった今ならそのリスクは分かるが、
中高生の時は「なんだコイツ口うるさいな」程度にしか思っていなかった。
仮面を被らず、役を演じず多数の生徒に対し
〝自分のまま〟を晒すことの勇気にも、
口うるさく言うエネルギーをかけてくれている
ことにも気づかず、世界に傲慢だった。
あの頃は、無知ゆえに無敵だった。
今出会ったら、歳の離れた友人になれそう。
「言い過ぎちゃった、ごめんね」
と言い合って、もう1回話してみたい。
カルピスから、かなり離れたところまで
思考がフラッと出歩いてしまった。
実はまだ、カルピスミルクにありつけてない。
明日こそ、ホットカルピス先生はじめ
思い出の中の先生たちに思いを馳せながら
旦那さんと一緒に冷たいカルピスを飲もう。