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【日記】2022.09.27

唐突に、思い出した事がある。
小学生か、中学生のころの『シール手帳』だ。

我が家は父子家庭で三人兄弟、その父が絵描きだからお金はいつもギリギリだった。
父は昼間自分のお店で働いて、私たちを寝かしつけてから、注文の家具を作るために夜中も作業場で働いていた。

父からしたら早く作業がしたいのに余りにも私たちが寝ないから、何度も怒られたっけ。
子供の私たちからしても、なかなか「寝ろ」と言われてすぐに寝るのは難しい年頃だった。
寝かしつけは今でも、お互いにとって苦々しくも愛おしい思い出となっている。

そんな貧乏家庭だったけれど、長女の私は学校に父が呼び出される程のわんぱく娘。
(もちろん何かを壊したとか、そういう事はしなかった。小心者だから。)
田舎とはいえ、流行りにも敏感だ。

「シール手帳」が学校で流行りはじめ、みんながシール交換やプリクラ交換をしている中で、当然の成り行きで私もシール手帳が欲しくなった。
そこまでは覚えているが、誰がシール手帳を買ってくれたのだろう?

次に思い出せるシーンはパンパンになった私のシール手帳だ。
手帳をパンパンにする程のシールは誰が買ってくれたのだろう?

先述したような家庭環境ではあるものの、本当に色んな人の手でここまで育てられてきたから、きっとその中の大人が買い与えてくれたのだろうけれど、あまりにも唐突に思い出したものだから、何だか急に泣きそうになった。

我慢することは多い子供時代だったけれど、シール手帳に限らず 深刻なほど不自由な子供時代ではなかった。

何かを持っていないからと言って虐められることも無かったし(きっとそういうポイントでは誰かが察知して買い与えてくれていたのだろう)、運動会などの行事には必ず誰か来てくれて、毎年誕生日プレゼントも貰えていた。

改めて、今、愛されていたことを実感して、この苦しいほどに幸せな気持ちを残しておきたくてnoteを書いている。

途中から、父と2人の弟との4人家族になったけれど、誰も何も間違っていなかったんだと心から思う。
周りの優しさに、心の面でも金銭的な面でも助けられてきたし、それが無かったらここまで無事に成長できていなかったと思う。

本当に感謝しているし、その愛は今もなお私たち家族に降り注いでいる。
見えないけれど、確かに感じるその温かさに包まれて今日も生きている。

こんな事があっていいのだろうか、とたまに怖くなるくらいの幸せを知っている私たちはきっと強い。
そんな風に私たちを守り育ててくれた周囲の人達は、もともと強い。

なんてこった、こんなに幸せだったのか、私。
少しでも返せるように、生き抜いて行こうと思う。

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