早期退職の50オヤジ、好きな事で生きていく
こんにちは、赤鬼です。コロナ禍に50歳で早期退職しました。
自転車にハマり、地元愛が募り、勢い余って退職した挙句に旅行会社を作るという暴挙にでたキチガイです。
はたから見ると「好きな事」を仕事にするという誰からも羨ましがられる立場です。
大好きな自転車に乗ってるだけでお金儲かるなら、そんな素晴らしい事はありません。実際、思い描いた形のサービスを提供できるお客様がいてくれ、そして多少なりとも対価を得ています。ほんとにありがたいことです。
しかし…
起業する前にある人から言われた事があります。
「好きな事を仕事にしたら、きっとそれが嫌いになるで」と。
もちろんその事は想像できました。
好きな事して遊ぶ事と、好きな事を仕事にする事は似て非なるもの。遊びなら飽きればやめれば済みます。でも仕事は飽きたからと言って簡単にはやめることはできません。疲れたから今日はやめとかもあり得ません。お客さんの要望には自分の好みと違っても応えていく事も必要です。
そんな状況になったとしても仕事として割り切って向き合えるか?
そういう事を求められるだろうとは十分事前に理解はしているつもりでした。
人によっては嫌いなことは絶対にやらない。しんどくなったらとっとと辞める。そんな自由奔放な姿勢で行きていけるツワモノはいると思います。それこそ個人事業主らしい生き方なのかもしれません。
でもきっとサラリーマン根性が身に染み付いた僕にはそこまで徹底して自由気ままな態度にはなれない。
今、自転車を仕事にしてみて、これから先も自転車一本で生きていくという覚悟が足りていません。
改めてビジネスとして見た自転車ツアーの悪い面が克服できず、半ば諦めかかっています。そうなると自転車を自身の事業の軸にはしにくくなってしまいます。
「これってビジネスモデルとしてそもそも成り立たないのではないか?」
と、今更ながら思うのです。そんな事は事業計画の時点である程度想定した上で始めるべきなのに…。
僕の事業計画書、夢と希望で溢れてました。こんな素敵な世界が広がる的なキラキラした妄想に溢れてました。
事業計画書は自身のやろうとしていることに自信がないと書けません。強い思いをベースに事業が成り立つ理屈を自身で明確に言語化しなくちゃならないからです。
と同時に、それは冷静さを取り戻すための作業でもあるのですが…。
事業計画書の時点では、この冷静さは、時にやらない理由として単なる臆病な気持ちの表れとして処理されがち。
まるで太平洋戦争に突き進んだ旧日本軍が如く、できる理由を並べ立て突き進むことこそ起業と考えるのです。
気がつけば、臆病として追いやられていた創業当時の不安点は「ソラミタコトカ!」と目の前に立ちはだかるのです。
ここで「間違いも正解に変えていけばいい!」なんて勇敢に立ち向かっていくのが真の勇者。
そして見事不安点に勝利して不正解を正解を変えられたものは後に成功者としてもてはやされるでしょう。
ただし、この時に不正解はどこまで行っても不正解のまま、という事実に打ち勝つ事が出来なかった勇者達の屍がその足元に山のように積み上がっていても、その事を誰も話そうとはしません。
おそらく僕はその狭き門を目の前に立ちすくんでいるのだと思います。
この夏、暑すぎてツアーもレンタサイクルも動かず、売上は全くないのに、今年から大幅に増えた固定費だけがガンガン口座から引き落とされていく…。そんな恐怖の3ヶ月を過ごしてメンタルがおかしくなりかけてました。
さすがにヤバいと公庫で◯◯万円ほどの融資を受けて延命に入ってます。事業開始時は自己資金のみで始めたので、遅かれ早かれ融資は受けるつもりでしたたが、そのあたりも計画的とはとても言えません。
例えすぐに結果が出なくても、諦めずにやり続けたヤツが成功を手にする…なんて言葉もよく聞きます。銀行が貸してくれる間はとにかく借りてでも続けるのが果たして良いのか? どうなの?
誰もホントのところは教えてくれません。
ひとつ言えること。
やめるのはいつでも出来るって事。
あ、これもどこかの起業論で聞いたことのあるセリフだな。