【ふなログ636】最後までやり切る。「自分なんか」という言葉は死んでも発しない。
■
先週末の話になるのですが、
娘のピアノの発表会を鑑賞しに行きました。
※前回、
『ファイトクラブ的な朝活に殴り込み(前編)』
という記事を書きましたが、
後日談に進展があり次第「後編」を書かせて頂きます。
(「ギリギリ起床して間に合った(冷汗)」とだけ書かせて頂きます)
→ま、みんな覚えてないでしょうから、しれっと書きます(笑)
■
ピアノ教室に通っていて、
ピアニストに育てるような英才教育は全く考えていませんが、
小さい頃からリズム感があり、絵画や音楽に強い興味を示し、
情操教育にもなると思い数年前から通わせていて、
今年初めて、発表会に参加することになりました。
(本人はデザイナー志望)
■
先生に引率されてステージに入り、
グランドピアノの前に座る。
引率されている時、緊張感が伝わりました。
大勢の人を前にしたステージというのは人生初。
少々ぎこちない部分もありましたが、
最後まで弾き切ることができ、演奏を終えました。
■
「親としてどうか?」とも思ってしまうのですが、
正直な話、
上手い演奏ではないと思いました。
ただし、
途中明らかに譜面を忘れてしまった(あるいは頭が真っ白になった)ような時があっても、
狼狽えることなく止めることなく最後まで繋いだことは、
「よくやったな」と感動を覚えました。
■
緊張のあまり頭が真っ白になり、
何もできなくなってもおかしくない場面でも続け、
自暴自棄にもならず最後までやり切りました。
きっと先生のご指導のお陰とも思いますが、
私の方が重要なことを学んだ思いでした。
■
我々大人であっても失敗を恐れたり、
高い壁を目の前にして
諦めそうになったりすることが沢山あり、
その時に完全に身動きが取れなくなることもあります。
しかし、失敗しようとも動き続ければ、
紆余曲折しながらも前に進むことができる。
■
多少、騙し騙し進めてしまうことはあっても、
「放送事故」のようにストップさせず、
最後まで自分に課した「バトン」を
未来に向けて、
最後まで渡し続けることが大切です。
完璧にできないとしても最後までやり切る。
■
中断することよりも、
「動きのある不完全さ」の方に人は関心を持ちます。
中断させた瞬間、自ら可能性を閉ざし、
周りからも関心を失うことになります。
■
自分が決めたことを最後までやり切る。
それが「荒唐無稽」であったとしても、
色々な可能性を模索しながら、
起床してから寝るまでずっと考え続けて、
とにかく動いて未来に繋いでいくのです。
■
完成、ゴールまでは険しい道のり。
最後まで弾き切ってステージを終えた
娘の発表会を通して、
改めて、
死んでも「自分なんか」という言葉を
思わない、口に出さないと決めました。
「自分なんか」という言葉を出した瞬間、
今の取り組みから逃げることになるからです。
■
最後まで続けていくためには、
最も口に発してはならない言葉です。
最後まで自分を信じた者だけが
悲願を達成できるからです。
過去、
口グセとして「自分なんか」を
私はよく発していましたが、
発している間、良かったことは一つもなく
明らかに闘志を
自分自身で奪っていました。
■
だから、
自分で自分の闘志を削いでしまう言葉は
死んでも発しない。
最後までやり切るために必要な心掛けです。
■
ついでに余談申し上げますと、
つい先日に誕生日を迎えました。
改めて、闘志を削ぐ言葉を発しない。
闘志を高める言葉を集めていく。
そんな新たな己(おのれ)を
スクラップ&ビルド、破壊と再生、
再起動、誕生させるRe-Birthな日。
■
誕生日を迎えながらも
登っているような登っていないような
踊り場のような日々が続いていますが、
そこで自分を諦めたら、
そこで試合終了ならぬ登山終了です。
そんな時期こそ「エネルギー充填の時期」と捉え、
最後までやり切る初心に返って突破あるのみです!
■
今回の気付きは娘のピアノ発表会から。
最後まで演奏し切った娘には、
「自分なんか」という言葉はなかったはず。
今年は他者と積極的に関わり、
まずは、
見込み客を増やすところから力を入れていきます。
■
それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。