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【ふなログ661】進むからこそ「まだまだ」だとわかる富士登山の醍醐味。
富士登山当日。
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去年、富士登山に3回登頂しました。
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1回目は、
勉強会の仲間たち10名と共に、
山梨の富士吉田の登山道から。
高山病になりながらも
仲間の助けを借りながら登頂しましたが、
あまりの悔しさで、、
翌8月に再チャレンジすることを決めました。
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その2回目は、
単独で富士宮の登山道から。
一度高山病になった1回目を知っている仲間からは、
後になって「心配していた」と聞きましたが、
入念に準備していたお陰か
高山病になることなく日帰りで
登頂だけでなくお鉢巡り(山頂を一周)も果たしました。
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返す刀で翌週に3回目。
10数年前に暴風雨で遭難しかけた
御殿場の登山道から単独チャレンジ。
長い距離の登山道のため登頂が遅れ、
夕方から一気に下山して暗闇の中帰還しました。
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…という昨年でしたが、
今年はまず、勉強会仲間との富士吉田からの登山。
今年は20名近くと登ります。
ちょうど、
人生で10回目の富士登山になることが分かりました。
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なぜ、自分はそんなに
富士登山に惹かれてしまうのか?
一つは、「日本一」の標高に挑めるから。
「日本一」という基準に挑む自分が好きだから。
「日本一」という基準に挑む自分を知って、
他のことにも「日本一」を
目指す感覚を知ることができるからです。
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二つは、
登山の過程で人生の縮図を体感できるから。
高い目標、到達点に向かって
必要なものを整理し、持参して行く。
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そして、
高い目標に向かってのペース配分。
一気に登ろうとしても高山病になる。
ゆっくりと足元を踏み締めて、登って行くだけ。
いつになったら、
山頂に辿り着くのか?
山頂に見えていた景色が、
実はまだ中腹だった。
肩透かしを食らう気分になるが、
実はそれが進んでいる証拠。
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進むからこそ、
「まだまだ」だということがわかる。
止まっていたら
そんな感覚は訪れない。
しかし、歩みを止めない限り、
着実に目的地に近付いていくんです。
他ならぬ、
己との戦いの連続。
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残酷なことに、
時には暴風雨で行手を阻むこともあり、
これ以上は先に進めない、ということもある。
諦めて撤退する決断も必要になることもある。
自分でコントロールできないことに、
執着する必要はなく、自分に出来ることに
全力を傾注することを大きく学ぶ瞬間。
高山病もまた同じ。
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三つは、
高いところから俯瞰できること。
普段目の前のことで悩んでいたことを、
遠くから眺める感覚を体感できる。
大自然は、
人が悩む悩まない関係なく
情もなくただ動いているだけ。
雄大な自然と大気の流れを知る。
そんなことを体験できる機会は、
そうそうありません。
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毎年、こうした学びを体感することを含め、
ある種の「儀式」と化している気がします。
「禊を済ませる」意味も、
自らに課しているかもしれません。
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登山シーズン終わってから
「登山ロス」になったのは去年でしたが、
ここを壮大なキックオフ
とする決意です!
それでは、登ってきます!
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今日も
素敵な1日をお過ごしください。
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