物語を意識して生きることは、自己を客体化して生きること
■困難に遭ったときには、その状態を
【所与の条件、所与の環境、
既定の条件(=ゲーム設定)】
と考えれば、
多少なりともラクになるものです。
自分の力でどうにもならぬことなら、
いったんは
【その枠組みを前提として、
どのように対応すればよいか】
と考えたほうが良いでしょう。
■ゲームしている人は、
自分の行っているゲームの初期設定に
文句を言うことはありません。
たとえばドラクエプレイヤーが
初期設定の弱小主人公を見て
「情けねえ!
スライムしか倒せないのかよ」
と怒っている姿は想像できません。
はじめから
「そういうもの」
だと思っているので、
みんな落ち着き、じっくりと腰を据えて
経験値を積み上げているはずです。
■人生もそれと同じように、
「落ち着き、じっくりと腰を据えて
経験値を積み上げていけば、
新しい世界を切り開いていける場所」
と捉えてみてはどうでしょう。
■初期の枠組み(困難な状態)自体を
否定しようとしても、
一個人の力をもってして、
どうにもならぬものであるなら、
現状を否定しようとする思いは
そのまま
【恨み、呪い、怒りの炎】
に転換されて、
自らを焼き尽くしてしまいます。
■そんな状態になったら、
負の感情が、さらなる負の感情を呼び起こし、
類焼、延焼モードとなって、
収拾がつかなくなります。
そんな悪夢を食い止めるためには 自身を
【ハードモード設定(難易度高め)の
ゲームの主人公】
であると肯定的に捉え、
自分はそのゲームのヒーロー(ヒロイン)
なのだから、そうした環境を
【知恵と勇気と度胸と行動力で乗り越える、
それこそが格好良さの証】
といった物語の中で生きていると
認識を転換させる、
そんな内的な取り組みがあっても
よいのではないかと思います。
■こうした考えは、
逆もまたしかりであり、
人間はときに
自分の実力を離れたところで
【とてつもない僥倖(幸運)】
に恵まれることがあるものです。
そんなときには、自分を増長させぬよう
たまたま恵まれた
【所与の条件、所与の環境、
既定の条件、ゲーム設定】
と考えて、
自らを厳しく律していく必要が
あるかもしれませんね。
■たとえ無敵状態に入った主人公が
「接敵(新たな状況に遭遇)」
した限りにおいて
無敵モードであったとしても、
そこで自惚れ、調子に乗り、
思わぬ落とし穴にはまって、
足元を掬われては、
【無敵モード、からの大転落】
となることもあるわけで
(よくニュースでも見かけますね)、
だからこそ
【調子のいいときにこそ、
調子に乗らない】
という状態をキープできる、
そんな物語を生きる必要がありそうです。
■すなわち、自らを
(たまたま恵まれた初期設定だが、
実は薄氷の上を歩いている)
そんな物語の主人公である、
と認識するとよいのではないでしょうか。
■こんな風に、
【自らの人生を物語化して捉える】
ことは、実はそのまま、
【自らの人生を客体化させた視点を
持てるようになる】
ことにつながります。
■それはそのまま
【自らの行動を客観視して適切に
操作することを可能にしてくれる】
という効果・効能を
もたらしてくれるもの。
だからこそ、
【自らの人生を客観視するために
物語化して捉える】
ことは大切だと思います。
■自分に対して、
落ち込みを防ぎ、
調子にも乗らせず、
いついかなるときにも
冷静に振る舞える、
そんな心的態度の醸成に必要なことは、
【自身を客観的に捉えるための
物語視点】
です。
(と書いている私自身が、
悪戦苦闘の毎日なのですが汗)
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