【株式会社funakuのはじめの一歩#4】「知らなきゃ」から「知りたい」に。義務感から脱却したフィールドワーク
〈登場人物紹介〉
funakuの初めての地方創生事業。
プロジェクト塩竃のリサーチを任されたインターン生2人だったが、
完全に行き詰まっている様子に、代表の悠介さんが塩釜に連れ出してくれることとなった。
8月6日、七夕祭り当日。この日もとても晴れていた。
賑わう仙台のアーケードを通り過ぎ、
青色のレンタカーを借りたfunaku一行は塩釜に向かった。
到着した頃にはもうお昼時。寿司屋が日本一多い塩竈なので、お昼はお寿司に決定。
「鮨しらはた」で美味しいお寿司を頂いた。
美味しい、、、!!
回らないお寿司屋さんが初めてだったインターン生2人は、あまりの美味しさにビックリしてとにかく夢中で食べた。
インターン生の森田は、ウニを昔食べて以来ずっと苦手で食べてなかったが、全く別物のような美味しさに感動。自然と黙食になって、気づけば完食していた。
そうして、美味しいお寿司にお腹が満たされた後、
いよいよ一同は塩竃のフィールドワークを始める。
向かった先は、以下4つ。
・本町商店街
・おさかなミュージアム
・鹽竈神社
・災害公営住宅の中にある公民館
本町商店街は古くからの歴史を有しているが、その中でも新しいお店もできていた。
おさかなミュージアムでは、漁業と伴に歩んできた塩竃の歴史を感じられる展示品の数々。
鹽竈神社は予想以上のスケールに、塩竃の地を見守ってきたという偉大さを感じた。
清水沢東の災害公営住宅は、悠介さんが震災時訪れていた場所とのこと。
中でも印象に残っているのは、悠介さんも幼少期通っていた、本町商店街の駄菓子屋さん「やまだ屋」に立ち寄ったことだ。
歴史を感じるお店の佇まいからも、ずっとその場所で営みを続けてきたことが伺えた。
塩竃市のフィールドワークを終え、帰路に就くときもなんだかやまだ屋さんのことが忘れられなかった。
”塩竃で生業を築いている人たちの歴史を知りたい。
どんな人生を歩んで、どのような経緯で塩竃で生業を築いているのか。
今の暮らしの中で何を楽しみにしているのか、また、何を苦しく感じているのか。”
塩竃に実際に訪れ、顔を見たことで、
塩竃のリサーチを任されてから初めて自分から調べたいと思ったのだ。
この熱意を持ったまま、すぐに今後の進め方を話し合った。
「これまではさ、「調べなくちゃ」と思ってリサーチをやっていたよね...。」
「もっと自分たちの想いを乗せなきゃ意味がないんじゃないかな?
今自分たちが本当に知りたいと思っているのは「人」。
塩竃に住む人がどんな想いを持っているか知りたい。」
・・・調べよう!
まずは塩竃で働く人のインタビュー記事を片っ端から読んでみた。
熱い想いを持って、塩竈をより良い場所にしていこうと奮闘する人々がいることを再認識する。
地域にはメディアには取り上げられないような住民の方が多い。
より「生っぽい」住民に話を聞き、リアルな想いを知りたい。
インターン生2人は代表にインタビュー調査を提案することにした。
悠介さんに相談したところ、
これまではオフィスに籠って悶々としていたけれど、少しだけ前に進めるような気がしてくる。
早速インタビュー実施日の日程調整を行い、新しい施策に踏み切ることになった。