空回りしたっていいじゃない #同じテーマで小説を書こう

ユカが目を覚ました時、太陽は沈むとは言わないまでも、やや南西に傾き始めていた。社会人になってから寝るだけで終わる休日が増えたなと、ため息代わりに大きな欠伸をして、ベッドから這い出る。少し頭が痛かった。

ダイニングテーブルの上には、飲みかけのウイスキーのグラスが置きっぱなしになっていた。そういえばいつベッドに入ったかも覚えていない。グラスをシンクに移すついでに、床に落ちているスマホを拾う。画面には「カイ:今日の夜そっち行く」とあった。「了解」のスタンプを押して、ユカは風呂場に向かった。

シャワーを浴びながら、ユカは最後にカイと外出したのはいつだったかと考えた。ユカの職場では土日出勤がある代わりに、平日に2日休みがある。ただし、固定ではないので、恋人のカイとは予定が合わせにくく、休日やその前後にどちらかの家を訪れる程度の付き合いになっていた。

(毎日ラインはしてるけど、それだけで恋人って言えるのかな)

遠距離恋愛をしている友人からすれば、それも立派な愛の交換らしいが、近距離の場合はどうなんだろう。全身の汗が流れ出てサッパリする代わり、頭の中にモヤがかかって不快だった。

下着姿で髪を拭きながら、ソファに寝転んでスマホを眺める。

「ん?」

何気なく見ていたSNSの広告欄に、ユカの悩みに対する答えのヒントが載っていた。

***

「ユカー、来たよー」

カイがビニール袋に缶ビールを提げて玄関を開けた。カイはユカにキスしようとしたが、ユカが人差し指でその唇を抑えた。

「カイ、今日、あたし夕飯を手作りするね」

一瞬違和感を感じたが、カイは笑顔で会話を続けた。

「いいね、何?得意のカレー?いや、この前みたいに素麺でも…」

「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」

カイの表情が固まった。

「え?シュピナートニ…何?」

「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」

カイの頭は「?」で埋め尽くされた。

「えっと、なんでそんなすごい料理作る気になったの?」

「な、なんとなく…」

実のところ、さっきSNSの広告で見た、冷めきった恋人との仲直りのきっかけとなった手作り料理が「それ」だったというだけだ。

「手伝うよ?」

「大丈夫!スマホで作り方見ればできるから!待ってて!ね!」

そうしてユカはキッチンで料理を始めた。

***

カイは一人でビールを飲む間、不安でならなかった。

ユカの料理は美味い。上手だ。だが、今日の彼女は後ろ姿が負のオーラを放っている。

だいたいさっきの、聞いたことのない料理。いったいどこの国の料理なのか見当もつかない。ユカが初めて作るのは明らかで、どこか焦っている。

(ユカ、君を抱きしめたら、この一週間会えなかった寂しさなんて全部帳消しになるのに、なんで今日は距離をとってるんだ?)

もしや自分に何か非があったのか。

そういえば、先月たまたま休日が重なった時…

「ねぇお出かけしようよ」
「いや、こんな状況だよ。マスクして距離とって気疲れするより、家で映画でも見てベッタリしたいよ」
「う〜ん…いいよ、そうしよ」

…あの時のユカの表情はどこか曇っていたような気もする。

毎日ラインしてるし、時々ビデオ通話もするから顔だって見てる。今の関係は悪くないはず。

でも、もしかして、自分がそう思ってるだけ?

とカイが薄々感じ始めた頃。

キッチンから異様な臭いが漂ってきた。

***

「ユカ?」

返事は無い。ユカは鍋の前で呆然と立ち尽くしていた。

「大丈夫?」

カイは鍋の中を覗いた。酸っぱいような焦げたような不思議な臭いのするグチャグチャしたものが煮立っている。大丈夫じゃない。

「失敗しちゃった…」

ユカはつぶやき、火を止めた。

「あ…それでもいいよ。食べるから、いま皿を…」

「いい!」

ユカは声を荒げた。彼女の内面には、料理よりももっとグチャグチャの感情が渦巻いていた。

張り切りすぎた。背伸びしすぎた。カイと仲直りしたいだけだったのに。

「…もったいないし」

「いいってば!」

ぐるぐる、ぐるぐる。自己嫌悪。優しくしないで。惨めなだけだ。ただ、貴重な休日をほんの少し特別に彩りたかっただけなのに。

ユカの目にはうっすら涙が浮かんでいる。

「なあ」

カイがふと目を落とすと、ユカのスマホには【もう終わりかもしれなかった私と彼を仲直りさせた料理、シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム】というページが写っていた。

「ユカ。オレ、今の関係は悪くないと思ってるけど、ユカは違う?」

「…会える距離にいるのに、せっかくの休日なのに、ちょっとしか会えないのは嫌。丸1日、ずーっと一緒にいたいし、たまには出かけたい。ワガママだよね。ごめ…」

カイはユカを後ろから抱きしめた。

「本音が聞けて良かった」

「…怒ってない?」

「怒ってない。でも、思ってることは、ちゃんと言葉で言ってほしい」

「…うん」

ユカの心の中の濁りは消え、シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムは二人の胃の中へ消えた。

(1997字)

***

こちらの企画に参加しました。


「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」がテーマにも関わらず検索は禁止されるという(笑)ちなみにまだ調べてません。火も鍋も使わないのでは…?まあいっか(笑)

杉本さん、ありがとうございました🙇