孤独の独裁者の最期 『ヒトラー 〜最後の12日間〜』感想・レビュー
’’崇高な理想’’を追い続けた一人の男がいた。待ちゆく先が死だとしても。
この映画は第二次世界大戦時のドイツとその首相、アドルフ・ヒトラーの生前12日を描いた作品であり、自分が歴史で学んできた『冷徹な総統』としての一面と『温和な一人の男』としての一面それぞれが対比して描かれていた。
舞台は1945年首都ベルリン。ソ連軍の進軍によって退路を断たれ、敗北を迫られる。ただ一人、アドルフ・ヒトラーはまだ勝利を見据えていた。死より勝利、国民よりも勝利、壮大な理想を彼はまだ手放してはいなかったのだ。
総統としての一面
国民が我々に委ねたのだ。自業自得だ...
総統としてのヒトラーはまさに自身がイメージするヒトラーそのものだった。自信に満ち溢れ、強気な口調から本当に全てを掌握する独裁のカリスマだったのだ。
「ベルリンからは撤退しない、ベルリンか、それとも死か。」「死は一瞬だ恐れることはない。」そんな彼も少しずつ部下から懸念を持たれ、一人また一人とベルリンから姿を消すのであった。
「美味しい料理をありがとう」
私たちがイメージするヒトラーは何者だったのか、そう感じさせるほど衝撃的なセリフだった。
総統としてではない、一人のドイツ国民としての彼は実に温厚で優しかった。そんな彼の手はいつも震えていた、まるで迫る死を恐れているように。
物語の証言者、ヒトラーの秘書として共に過ごしたユンゲはこう語っていた
「目を見開いていれば気づけた」
”自分に非はない、自分は何も知らない’’
ユダヤ人虐殺の時も自分は知らない関係ないと。自分が当事者になった時では遅いのだと。それはこの事だけに言っているのではなく、今を生きる全ての者へのメッセージに感じた。
丸山眞男の著書『「である」ことと「する」こと』にも日本の法律を題材としてではあるが近い内容が書かれている。
「権利の上に眠る者」
権利の上に眠るものは民法の保護に値しない。
自分がやる必要はない、そうして権利を盾に動かずじまいでは今のミャンマーのように軍も味方では無くなっている。自分の目を見開き、どれが真実なのかを見極める必要があるのだと思った。
まとめ
今回、『ヒトラー 〜最後の12日間〜』をレビューしましたが。
かつての日本と重なるところもあり、とても他人事では見られない作品でした。守られているという意識から、自分も変革の一人という意識が大切だと改めて感じました。
戦時を描いた作品なので過激な描写が多いので苦手な方はご注意を。
普段書き物をせず、初めての投稿ということもあり、変なところも多々ありますが温かい目で見てくだされば幸いです。
それでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?