喜劇か奇劇か 映画 「JOKER / ジョーカー」感想・考察
まるで狐に包まれたかのように幕を下ろした今作「JOKER」 全くの未知数な点が多い中、自分なりにこうだったのではないかと整理して見たいと思う。
ここからは作品の大きなネタバレを含みますのでお気をつけください。また自身の勝手な考察ですので温かい目で見ていただけると幸いです。
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公開時のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」
舞台は1981年のゴッサムシティ、財政難から貧富の差、それに伴う犯罪が増す世界の中で誕生してしまった悪のカリスマピエロ「ジョーカー」
彼はアーサーという本名を持つ中でコメディアンとしてジョーカーを名乗っていた。作中では普段のアーサーは黒髪に地味な服装、ジョーカーは緑髪に派手な赤い服装と対比がなされている。
またシーンにもそれは大きく表現されており、階段のシーンが代表的である。
ラストシーンの疾走感と困惑感
自分自身、正直完全に??状態だった(笑)どこまでが妄想でどこまでが現実なのかジョーカーが事件の発端となるシーンから病棟でのラストシーンまでまるでごちゃごちゃになったピースのようだった。
そんな中、時系列や対比表現を考えた末、考察としては
「ラストの白病棟以外全てアーサーの妄想」
こう考えると辻褄が合うのではないだろうか。
ラストシーンの白病棟で彼は精神科医と面談の最中、作中での笑いとまた違った寂しい笑いを見せた後「ジョークを・・・思い付いて」と呟く。その後精神科医はアーサーによって殺され終わりへと繋がるのだが、このジョークこそがこの作品そのものであり、バットマンという作品なのではないのだろうか。
つまり、荒廃した街、アーサーという可哀想な男、民衆の悪のカリスマとなるジョーカー、この全てがダウトであり彼自身のジョークであり妄想だった。と考えられないだろうか。
後のバットマン「ブルース・ウェイン」の両親が殺されるシーン
彼のジョークはこれでは終わらず、『バットマン』にも繋がっていく。考えるに次の点からこの映画作中のジョーカーはバットマン本編のジョーカーとは別人だと言えるだろう。
1, アーサーがジョーカーではなく、彼が描いた仮面の男が後のジョーカー
2,「バットマン」自体が彼のジョーク
1, アーサーがジョーカーではなく、彼が描いた仮面の男が後のジョーカー
まずラストのブルースのシーン、彼の両親を殺した人物はジョーカーではなく、ジョーカーに支持するただの仮面の男だった。ここから??祭りになっていくのだが、この作品自体がジョークだと考えると何故かすっと掴めると思う。
彼はアーサーが思い浮かべるヒーローストーリー「バットマン」の悪役として輩出された男と考えるとわかりやすい。
2,「バットマン」自体が彼のジョーク
こう考えると掴めてくるのがバットマンという作品、ブルース、ジョーカーという存在、それすらもアーサー自身のジョークであったとまとまってしまうのである。
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まとめ
今回の作品「ジョーカー/JOKER」本来の作品と一味違った怖さを感じる作品でした。見る人によって考え方や感じ方、捉え方が十人十色になり得る難しくも深い映画でしたね。またこういった考察回もできればしていこうと思います。
それでは、次の映画で
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