自分は自分を完全に知ることができない
こんにちは、揚げトーラスです。
ところで、Google検索で「再帰」と調べるとどうなるか知っていますか?
検索バーのすぐ下に「もしかして:再帰」と表示されます。そして、この「再帰」をクリックすると、またこの表示になります。
同じことをnote上で行うと次のようになります。
この記事は次を参照しています。(同記事)
こういうものを「再帰」と言います。平行な合わせ鏡の間に物を置くと、その像が鏡の中に無限に映し出されるのも「再帰」です。
「再帰」は言語学から論理学までのあらゆる分野で使われる言葉ですが、言語学については「自己言及」という言葉がよく使われます。
自分は自分のことを完全に知ることはできない
ある人が、自分のことを完全に知ることができたとします。
それはすなわち、頭の中にもう一人の完璧な自分がいる状態です。
しかし、その頭の中の自分も、自分自身を知っていなければならない。これが無限に続きます。つまり、知覚された情報の量が無限となってしまい、これは明らかにおかしいです。(自分の脳のリソースは有限であるはず)
したがって、自分は自分のことを完全に知ることはできないのです。
どんな高性能コンピュータでも、自身の分析はできません。
エクセルで、自己のセルを演算に組み込むと、エラーになります。
自分が自分を完全に分かっているなんて話す人は、無限の脳のリソースをもつ架空の存在か、嘘つきのどちらでしょう。
現実の私と、脳の中の私は、完全に別なのです。「私は賢いと、私が思う」場合、脳の中にある私が、現実の私にとって「賢いと思われている」だけです。
もちろんこの場合、現実の私が実際に賢いかどうかはわかりません。現実世界では、自分自身について言及するとき、実は現実の本人に対して言っているのではなく、頭の中にいる想像上の自分に対して言及しているのです。
最後に
自己分析と称して、自分のことを自分自身がどう思っているか、考えたりする人がいるかもしれません。(頭の中の自分ではなく)実際の自分に言及されておらず、成長につながるかはわかりません。
自分のことを知りたいのであれば、他人から教えてもらう必要があると思います。自分に関して、自分が知れることは限りがあるのだから、不足分を他人に求めればいいのです。
自己分析とはそうあるべきだと私は考えます。