ツイッターやめ日記 #2
今日も課題が進まない。来週はテストや成人式などもあって忙しいので先にレポートを終わらせておきたいのだが、何も進まない。もっとしっかり授業を受けておけばよかったのだろうか。でもそもそもそんなことできない気がする。いつも期限前になってあわてて調べてなんとなく形にして提出している。これでできてしまうのも大学としてどうなのかと思う。なにひとつ評価のよくない大学改革だが、もう少しがんばってほしい。
家ではできないなと思ってコメダ珈琲に来た。遠いけど定期で行けるところのほうがいいなともって高槻まで来てしまった。なのに進まない。豆がうまい。
お気持ち文章を書くことだけがうまくなってしまったと思う。それはツイッターをやりすぎたせいなのか、読書歴の問題なのかわからないけど、これは僕が求めていた能力ではないと感じる。お気持ち表明は口頭で十分だ。もっとしっかりした文章を頭からガリガリかける能力がほしかった。
コメダで入り口近くの席に座ってしまったから寒くて仕方なかったけど席移動するのは面倒くさいなと思って外をしばらく歩いてから別のカフェに入った。あまり見かけないカフェだと思ったが大阪のいたる所に系列店があるらしい。最近街なかにある小綺麗な飲食店はほとんどが個人ではなくそれなりの資本力を持つ企業によるものになっている。それがいいのか悪いのかはわからない。
ところでなぜ飲食店はただの水をお冷と呼び冬でも大量に氷をいれて提供するのだろうか。冷えすぎた飲み物が好きではないので勘弁してほしい。いま思いついた一つの仮設は、まずい水を出しているからそれを冷やすことでごまかしているからというもの。それだったら仕方ないのかもしれない。でもやめてほしい。
文章を文字数という有限性ではなく内容や日というもので区切るのはけっこういいかもしれない。ツイッターのいいところは140字という明確な字数で区切りが発生するところだと思うけど、それによる弊害も大きい。それに対して日記というのは全く別の区切り方が発生しておもしろい。文字数で区切られてしまうとなんとか内容もその区切りに合わせようとしてしまう。しかし日記では全く関係のない事柄についても同じに日に書いていたら同じページに載せてしまう。この有限性は文字数のそれとは違う思考をもたらしてくれる。
なのでこのツイッターやめ日記では全然関係のない話も改行して同じ記事内に載せてしまうことにする。関係のないように見えても関係あったりもするし、あとからそれを確認できるのは自分としてもいいことだと思う。それと日付の区切りは僕が寝るまえと寝たあとで変わることにする。12:00で変わるのではない。それも文字数のような数字による区切りではなくより自然な区切りを導入してみたいからだ。なので投稿・更新時間的には同じ日に複数日記があがることもあるだろうけど気にしないように。
またこの日記について説明になるけど、この日記はほとんど推敲をせずに書いている。きれいな文章を書くことが目的じゃないし日記として徒然なるままに感を残しておきたいからだ。推敲なしで読みやすい文章を書く能力には定評があるので読めるかは大丈夫だと思う。
それと日が変わってからは誤字脱字なども含めて極力なおさないようにしたい。日記だから。
高槻は本当にバランスのいい街だと思う。自分がここで生まれたからというのもあるかもしれないけどとても居心地がいい。街の形もいいし駅前にある店もいいしいる人たちもいい。梅田とか河原町とかだとそこにいる人たちのなかで普通の人と異常な人の間に見えない線が引かれてしまっている。高槻だとその線はかなりうすい。梅田や難波だとだとおかしな人がおかしすぎるし河原町や烏丸や西宮だと普通の人がちゃんとしすぎてる。高槻は両者が間に寄っていて一体感がある。そうじゃないとダメだとは思わないけど、僕はこの雰囲気が好きだ。
少し違うけど尼崎にもそういう雰囲気があると思う。