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補助板ドレミ|ふあんクリエイターの推理日誌
鉄棒の相棒
「音楽な体育」について。
わたしの苦手な遊具にランクインしていた鉄棒。できなかった逆上がり。しかし「補助板」という相棒の存在により、逆上がりの世界を体験することはできた。
補助板は、たとえるなら「湾曲した木琴」。長方形の木の板を、空に向かってカーブさせながらつないでいる用具であった。蹴り上げの助けとなり、逆上がりのコツをつかむために使うものである。
逆上がりができない同級生は、一定数いた。体育では、この「逆上がり練習組」が補助板の設置されている鉄棒に集められて、先生の指導を受ける。コツをつかんだ者から「逆上がり自力でできる組」に進級。そして、空中技へ挑戦していく。
前回り専門のわたしは焦った。そして、心の中だけで少しいじけた。逆上がりは、社会で何の役に立つのでしょうか?当時、鉄の棒で回るなんて、サーカスくらいしか思いつかなかった。わたしは一生、サーカスする予定はありません。
体育を重ねるごとに、毎週、練習組からひとり、ふたりと卒業してしまう。おめでとう、でもどうか置いていかないでほしい。チラっとかすめる嫉妬。さびしさ。気がつけば、練習組は片手くらいの人数に。ひたすら逆上がりの練習。飽きるし、疲れる。
先生の個別指導。みんな逆上がりができるようになってほしい、との願いから、練習組への教えに熱が込められて。
「棒に、こう、からだをグッと、引きつけろ!」
「一気に強く!勢いよく、蹴り上げるんだっ!はいっ!」
「腕だけでぶら下がってるぞ、がんばれっ!」
先生、ありがとう。でも、ごめんなさい。もうね、手のひらが擦れて、力が入らないのです。そして、腕もだるい。ついでに、おしりも重く感じます。すべてのからだの重みが手のひらにかかってしまい、握力も限界なんです。今日はもう無理ですね。
結果、どうなったか。
補助板を「ドタドタドタドタ!」と、しっかり、ベッタベタに足裏をつけた状態で駆け上がり、力技で回る。板が大きくかしぐほど、完全に依存。全力で利用。
「おいおい、板の上を走ってるぞ?頼りすぎたらダメだっ」
「一瞬蹴るだけにしろ、そんなんじゃ、自力で回れないぞっ」
先生の助言は、ごもっともなのだ。しかし。
もはや、わたしの目的は逆上がりではない。目先を変えて、板を木琴に見立てて演奏していることにしたのだ。素敵な音色は聴こえないけれど、想像力で補えばよい。
(ドッタ、ドダダダダダ、ダダン!)
あれれ、ダイナミックな打楽器だ。これが本当の木琴だったなら、わたしはよき演奏者になれるようがんばるよ。この足裏で、クラスの誰よりもなめらかに奏でてみせるわよ。いまは、ドタドタしているけれど・・・。
これは体育の時間。でもわたしには、あくまで音楽の時間。そして、補助板に頼り切った上で眺める、逆さまの世界の心地よさ。
板は木琴、との自己暗示。いっそのこと、本当に木琴にしてしまえばよいのに、と幾度も考えた。全身を使った楽器。空を眺めて、屋外コンサート。わーい!科目横断な世界を味わったつもり。なんてお得なこどもだったのでしょう。もちろん、できることなら自力で回ってみたかった。
補助板で木琴、もう誰かが作っているかしら。鉄琴もできるかな?わたしは「音楽な体育」を夢見る。
[つづく]
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