震えてコマネチ|ふあんクリエイターの推理日誌
ふらつかない訓練のさなかに思うことは
「怖い!」
と心身が反応したときに、手足が震えてくることがある。
他人に悟られないように、とっさに自らの手と手を握りあうのだが、震えながら、なぜこんなに震えなければならないのか、怯えながらも考えている。そして、悔しさが溢れていることに気づく。何に悔しく思うかは、そのときによって異なる。
固く握った手が冷えはじめると、世の中は一人で生きるには難しいことが身に沁みて、それでも熱が失われていくことが止められないときは、さらに震えてくる。
そんなとき、わたしは脳内で氷山をイメージしていることが多い。表層の一角のほうではなくて、見えない水面下の氷がどのくらいの規模で、今後溶けそうなのか、溶けないほうがよいのか、とか。
とりあえず、震えているのは難しいことに挑戦しているからなのだと自分を励ますと、少しだけ救いがある。
ときどき、この訓練が永遠に終わらないような「気がして」、そんなときは、「気がするだけ」だからと言い聞かせては震える。
世の中のどんな場所でもなめらかに踊るための、基礎練習中なんだよと言い聞かせる。わたしはおめでたい人。
震える。でも、たのしく踊ってみせたいから、避けずに震えにいく。
踊りたい。わたしは踊りたい。わたしは心地のよい曲と場所で、踊りたい。
まだ間に合うはずだとの希望。そして、その対で存在するものの息の根を止めるための、永遠の基礎練習。
[つづく]
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