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優孝さんの90%は優しさで出来ている

2024年5月28日更新

以下は、コラム「プロテスト」黒木 真生の一部抜粋です。

~面接官は死神~

テストの面接の時、伊藤優孝さんから念を押されたのは「食えない世界だか
ら過度の期待をされても困るし、今、ちゃんとした仕事があるなら、まずは
そちらを大事にしなさい」ということだった。それをくどいぐらいに言われ
て、もし何か勘違いしているなら、今すぐやめなさい。受験料は返してあげ
るから、と言われた。
私が遊びに行っていた雀荘には他団体のプロ雀士の方が数名いて、実情は聞
いていたので、勘違いはしていなかった。
麻雀の仕事で生活するつもりはなかったので、その旨を話したら、優孝さん
は安心してくださった。
この人、ファミコンの「極(きわめ)シリーズ」という麻雀ソフトでは、怖
い顔の写真を使われて「死神の優」というキャッチフレーズでやってたの
に、実際は優しいんだなと思った。

話はそれるが、私が連盟に入って一番びっくりしたのは、この優孝さんとい
う人の果てしなき優しさである。

二年目のある時、優孝さんその他数名で地方の仕事に行った。なぜいったの
か、どこに行ったのかも覚えていないが、優孝さんが私に親切にしてくれた
ことだけはよく覚えている。
私は仕事の集合時間ギリギリまで寝てようと思っていたのだが、朝9時ご
ろ、ホテルの電話が鳴った。優孝さんの低く、太い声だった。
「お、寝てたか。おはよう。」
はい、おはようございます。
「お前、腹は減ってるか?」
はい、減ってます。
「よし、じゃあ、下の食堂においで。別に急がなくていいから。」
そう言って電話が切れた。
わけがわからないまま急いで服を着て、ボサボサの頭のままビュッフェ形式
の食堂へいくと、ポツンと優孝さんだけが座っていた。
もう片づけが始まっていて、他の客は誰もいなかった。
「お、早かったな。もう閉店だって言うから、適当に残ってるものを集めて
おいたから。ゆっくり食べなさい。俺は出かける準備をするから。」
優孝さんはそう言って自室に戻られた。
私はただ、ありがとうございます、としか言えなかった。

もちろん私とて、それまでに人から親切にしてもらった経験はいくらでもあ
る。
しかしそれは、家族や友人など、もっと深い人間関係において、である。
優孝さんには面接もしていただいたし、その後2、3回は食事の席に同席さ
せてもらったりもした。だが、無名の若者に、そこまでしてくれるのはなぜ
だろうか?

その日の昼、仕事の場でお会いした時に改めてお礼を言い「しかし、なぜ俺
なんかに親切にしてくださるんですか?」と、ストレートに聞いてみた。そ
したら優孝さんは「だってお前は仲間だろ」とおっしゃった。
優孝さんは、俺みたいな小僧でも仲間扱いしてくれるんですか?
日本プロ麻雀連盟に入った奴は、みんな仲間なんだよ。
優孝さんの言葉は飾りがなく、真っ直ぐだった。あまりにも真っ直ぐすぎ
て、インチキ臭さは微塵もなかった。
外からプロ団体を見ていて感じていた胡散臭さのようなものは、中に入って
みてまったく感じなかった。
中にいる人たちは意外すぎるほど純粋で、優しい人の集まりだったのだ。
私はそこそこ疑り深い性格なのだが、この人たちの純情さは素直に受け止め
た。

これは後から麻雀界の歴史を勉強して知ったことなのだが、日本プロ麻雀連
盟の、優孝さん世代の人たちは大変な苦労をされてきた。
もっと先輩の小島武夫さん、灘麻太郎さんたちを支えながら、麻雀プロの組
織を自分たちの手で立ち上げ、その過程で、ある方面から攻撃を受けた。
もちろん、別の方面からの援助もあったのだが、いずれにせよ、闘わなくて
はならなかった。
卓上の、麻雀の闘いなら「望むところ」の人たちだが、権力や世間の目と闘
うのは正直しんどかったと思う。

職業雀士の個々の権利を守るため、共同体を作ろうという発想から生まれた
日本プロ麻雀連盟だが、誕生の過程で受けた苦難によって、いっそう「自分
の身は自分たちで守る」という意識が強くなったのだろう。
それが仲間意識にもつながったのだと思うし、自分たちが作り上げてきた日
本プロ麻雀連盟への愛着となっているのだと、私は思う。