プロ雀士インタビュー第22回 森山 茂和(一部抜粋)
2024年4月18日更新
(注)プロ雀士インタビュー第22回 森山 茂和の一部を抜粋したものです。
「日本の麻雀を世界に・・・」 2007/4/26 掲載
今回のプロ雀士:森山 茂和
みなさんこんにちは^^宮内こずえです。
今回は、日本プロ麻雀連盟では、みんなのお父さん的存在の、森山茂和プロにお話を伺っていきたいと思います。
怒ると恐いので、あまり粗相のないようにがんばりまーす♪
麻雀を始めたきっかけ
宮内「それではまず、麻雀を始めたきっかけから教えて下さい。」
森山「大体みんなと同じだと思うけど、大学の時に面子が足りないから
って、友達に誘われたのがきっかけだな。それから、本で役だけ覚えた。」
宮内「点数計算はすぐ覚えました?」
森山「点数ねえ、うーん・・・。点数はどうやって憶えたんだろうねえ。」 宮内「昔過ぎて忘れました?(笑)。」
森山「いや、やっぱり、点数計算表みたいなので憶えたんじゃないの?」
宮内「自分の事ですけど(笑)。」
森山「だって、あんなの憶えるの簡単だろう。」
宮内「私は、難しかったんですが(汗)」
森山「あれはね、憶えようと思ったらすぐ憶えるんだよ。憶えようとしないから駄目なんだよ。」
宮内「結局、丸暗記しましたよー。」
森山「丸暗記は駄目なんだよ。なんでもそうだけど、基本的に積み上げて
行くんだよ。例えば符がどうあったらこうなるとか、何故その点数になるか
を理解する事が大事なんだよ。そうやって理解すれば、簡単に憶えられるん
だよ。ってこんな話、長くしてもしょうがないだろ。」
大学時代
森山「当時はアルバイトで稼いだお金で、夏休みになると沖縄、与論島とか
に遊びに行ってたね。沖縄から東京に帰って来てすぐ北海道に行ったりも
してたな。」
宮内「アルバイトっていうのは、雀荘ですか?」
森山「いや、雀荘ではバイトしなかったね。ちょっと特殊な仕事だったん
だけど、月に2.3回区役所に行って資料を調べてくるってアルバイトが
あって、それは結構いいお金になってたなあ。」
アメリカ遊学
宮内「大学を卒業した後はすぐに就職されたんですか?」
森山「いや、何もしてなかったなあ。」
宮内「今で言う、ニートってやつですね。」
森山「働く気がまだなくて、これは書かなくていいけど、大学を卒業して
すぐアメリカに行ってたんだよね。」
宮内「えーーーっ!!意外ですね~。ホームステイしてたんですか?」
森山「ホームステイはしてないんだけど、半年くらい遊学してたんだよ。
その時は、日本に帰る前に、アメリカからヨーロッパ旅行に出かけたり、
まあ、こんなの書かないでしょ?」
宮内「はい、はい(^^)留学中も麻雀はされてたんですか?」
森山「サンフランシスコのチャイナタウンで麻雀牌買って来た人がいて
ね。」
宮内「どんなルールでやってたんですか?」
森山「日本人と、普通に日本のルールでやってたよ。」
プロになったきっかけ
宮内「海外に行っていた時も、森山プロの心から麻雀が消える事はなかった
んですね。留学から帰った後は何をされてたんですか?」
森山「山口の実家がおもちゃ屋をやってたんで、それを手伝ってたかな。」
宮内「どうやってプロになられたんですか?」
森山「25歳の2月22日に麻雀プロになる決意をして、山口から上京した
んだよ。セリカって車に布団とか洋服とかを積んで、九州からフェリーに
乗って大阪、そして高速走って、いきなり友達の所に転がりこんだんだ
よ。」
宮内「麻雀プロになる決意をして上京するのって、結構勇気が必要だと思う
んですけど・・・。」
森山「そうでもなかった。当時、家に居候してた友達がタイトル取ればなん
て無責任にプッシュしてくれて、その気になった。」
宮内「良く親が許しましたね。」
森山「家の母は寛大で心の大きい人だから助かった、甘いとも言うね」
宮内「なるほど(笑)。上京してどうしたんですか?」
森山「東京に着いた次の日、朝起きたら、車がないんだよ。友達の家の前に
路駐してたらレッカーされててさあ(笑)それで腹が立ったから、また寝た
んだよ。」
宮内「また、寝ちゃったんですか!?ふて寝だ(笑)。森山プロらしいです
ね。」
森山「どうせ、駐禁切られたんだから一緒だって思ってね。それで、夕方起
きて車を取りに行ったら、なんと、駐車料金も取られるのな。」
宮内「あはは(笑)知らなかったんですね。」
森山「そう、知らなかったよ。知ってたらもっと前に取りに行くよ。それが
一日目ね。」
宮内「よく覚えてますね~。」
プロとして
森山「そうだなあ。それから、色々な大会に出て、麻雀関係の知り合いが
出来て。若獅子戦ってのが渋谷でスタートして、そこに参加して優勝した。
そこで優ちゃん(伊藤優孝プロ)とか安藤さん(故・安藤満プロ)と知り
合ってね、まだ学生だった井出洋介氏もいたね。」
宮内「おお!蒼々錚々たるメンバーですね!小島先生とも、その若獅子戦で
知り合ったんですか?」
森山「いや、当時新大久保に小島先生の事務所があって、知り合いに連れら
れて行ったんだよ。泊まって寝たてたら小島先生が来たんだよ。あ、本物の
小島武夫だ、挨拶しなきゃ、と思って起きようとしてたら、小島先生が、
「寝てていいよって」優しく言うんだよ。」
宮内「知らない人なのに!?優しいですねー。」
森山「そう、そういう人なんだよ。それから、小島先生の手伝いなんかを
させてもらうようになって、徐々にプロの活動をやり始めて、若手プロって
呼ばれるようになって行ったんだよ。」
宮内「徐々にっていう事は、ライセンスとかは無かったんですか?」
森山「その当時は、まだプロ連盟が無いからね。僕が29の時にプロ連盟が
出来たから。」
宮内「森山プロが王位になられたのは、その年ですよね?」
森山「そうだね、誕生日が来てたから30になってたけどね。第9期王位を
獲ったのは、ちょうど連盟が出来た年だったね。」
裏方として
宮内「麻雀の仕事もして、タイトルも獲って、結構、順風満帆に進んでます
ね。」
森山「実はそうでもなくて、その間色々とあったんだよ。麻雀への熱が冷め
る程、嫌な思いをした事もあるしね。結局、自分の力でやって行くしかない
と思ったよ。麻雀に対する自信だけは崩れなかったからね。」
宮内「そういった思いから、連盟の裏方的な仕事を積極的に行うようになっ
たんですね。」
森山「プロ連盟で活動していく上で、みんなプレイヤーだけって訳にはいか
ないんだよ。この業界はどっちかというと自分勝手な人が多いっちゃ多い
じゃない。」(笑)
宮内「そう言われてみればそうですね。」(笑)
森山「酷いって意味じゃなくて、みんないい奴なんだけど、麻雀バカみたい
な所があって、みんな何もやんないじゃん。」
宮内「確かに、そういう所はありますね。」
森山「20年くらい前にね。王位戦が無くなりそうになったんだよ。当時
スポンサーだった会社が潰れて、お金が出せなくなったんだよ。存続の危機
に瀕しても、みんな動こうとしないじゃない。だけど俺なんかは、自分が
獲った唯一のタイトル戦だから無くなって欲しくないじゃない。だから、
スポンサーがいなくても、なんとか開催出来るようにと考えて、全国の色々
な人にも協力を得て、それでなんとか王位戦は続いた。」
宮内「その辺りから、運営の中心人物になっていった訳ですね。」
森山「そうだね。そのうち、タイトル戦が王位戦だけじゃ寂しいからって、
一発裏ドラありの麻雀マスターズも作ったりね。」
ロン2
宮内「では、最後に今後の事についてですが・・・。」
森山「ロン2はね、10年くらい前からずーっとやりたかった事なんだよ。
色んな会社に話を持ち込んだけど、断られた。時代が早すぎたんだろうね。
3年前の8月1日、パイの日に「ロン2」がスタートした時は嬉しかった
な。本格的な麻雀が、インターネットで何処でも出来る。日本の麻雀を世界
に広めていきたい。そんな気持ちが、ずっとあったからね。」
麻雀格闘倶楽部
宮内「世界に広めるという意味では、麻雀格闘倶楽部が香港に進出してます
けど、その麻雀格闘倶楽部も森山プロが監修されてますよね?」
森山「麻雀格闘倶楽部が大成功したのは、ずっとゲームソフトの企画に携わ
ってたのが大きかったと思うよ。どうやったらゲームの麻雀が面白くなる
か、日々考えてたからね。まあ、麻雀格闘倶楽部は最初から人気があった
ゲームなんだけど、プロの参戦とかイベントの開催、モンドでの麻雀格闘倶
楽部杯とか、こちらの提案をコナミもどんどん受け入れてくれて、お互いの
相性が抜群だったから上手く行ったんじゃないかな。香港でも売ってくれた
し、しかも大人気なのは嬉しいよね。先日の香港の麻雀格闘倶楽部イベント
も大盛況だったしね。マカオにも麻雀格闘倶楽部あったね。」
日本のリーチ麻雀を世界スタンダードに
宮内「今後の展開については、どのように考えていますか?」
森山「麻雀格闘倶楽部にしても、ロン2にしても、より楽しめるものにして
いきたいよね。日本の麻雀を世界に広めたいって気持ちが強いから、もっと
世界で、楽しんで貰いたいよね。日本のリーチ麻雀を世界スタンダードにし
たい、日本の麻雀は競技性が高い点で他のルールを陵駕しているもの。ロン
2は、今後英語バージョンも考えててね、世界中で出来るようにしていきた
いと思ってるんだよ。そうして、麻雀格闘倶楽部も世界レベルに、50年と
か100年後はすごいぞ。」
宮内「麻雀が、もっともっと広まればいいですね。」
森山「ロン2や、麻雀格闘倶楽部で世界の人たちと対戦出来るようになる
よ。今すぐには無理だろうけど、少なくとも、宮内がお婆さんになる頃に
は、なんとかなるさ。」
と、無邪気に夢を語る森山プロは、どこか子供のようで、二十歳そこそこで
単身アメリカに乗り込んだ青年の面影は、未だ彼の中に存在しているのだと
思った。森山プロの夢が叶う日が早く来ればいいのに・・・。彼の純粋に麻
雀を思う気持ちが、自然と私にそう思わせた。最後まで、まっすぐに駆け抜
けて欲しい。そして、その後は私たちが思いを受け継いでいけたらいい。
ファンや若手に向けて
宮内「今回は、沢山お話して下さってありがとうございました。ファンの方
や、これから連盟を担っていくであろう若手プロにメッセージがあればどうぞ。」
森山「やっぱりね、一人一人個性のある麻雀を打って欲しいね。プロは、
個性のある麻雀を打って勝たなきゃ駄目。会長(灘麻太郎プロ)にしても、
小島先生(小島武夫プロ)にしても、自分の麻雀を打って勝ってるからすご
いんだよ。この局面は、こう打った方が得かなと思っても、自分の打ち方を
貫く。それが大事なんだよ。
これからは若手に頑張ってもらわないとね。麻雀界をよくする為には、自分
たちが頑張らないといけないんだから。」
宮内「はい!私も頑張ります!!」
森山「ファンのみなさんは、どんどん楽しんで下さい。今後も様々なイベン
トを企画して行きますので、是非参加して頂き、私たちプロと一緒に麻雀を
世界に広めていきましょう!プロの努力と、皆さんの協力なしには、夢は実
現しませんから。今後とも、よろしくお願いします。」
宮内「よろしくお願いします!!」
森山 茂和 (もりやま しげかず)日本プロ麻雀連盟 副会長 山口県出身
(このインタビューは2007年04月現在のものです)