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御山快晴 ——大信力と御嶽山

今年最後のお不動様のご縁日は、先輩行者宅の護摩堂で今年一年のお礼を奉納。お堂の中で尊敬する先輩よりさまざまなお話を伺い、感無量の時間。

仕事もプライベートもいろいろあった一年だったが、最後に全部チャラになるような素晴らしい時間をいただいた。

自宅に帰ると、石室山荘・黒澤館の向井さんから教えていただいた写真が届いていた。カメラマンの樋口一成さんが撮りためた、御嶽山の数十年(1974〜2023)の歴史。

ページをめくるごとに御嶽山の歴史が浮かび上がってくる。一瞬でその時代に連れていってくれる。あらためて、御嶽山は素晴らしい山だと思わせてくれる。

御嶽山は修験道の歴史としてはほぼ途絶えてしまった。記録もほとんど残っていない。残っている歴史の多くは、江戸時代以降に盛んになった庶民信仰としての御嶽信仰だ。

お経も作法も衣帯も統一されておらず、ほかの宗派と比較すると雑に見える部分もあるかもしれない。だが、そこにはとてつもなく大きな「信心」がある。とにかくみんな御嶽山を信じている。まさに大信力。この写真集からもそれが強く伝わってくる。

写真集『御山快晴』より。行者や信者であふれかえる御嶽山の様子。

「御山快晴」

なんて良い言葉なのだと思う。

先輩行者から教わったことだが、これは単に天気の話ではない。雨が降っていても、天気が荒れていても、御山快晴。

心の中の大日如来さまはいつも快晴でいらっしゃる。どこにいても、その大日如来さまと共に居る気持ちで、御山快晴を唱える。

残念なことではあるが、おそらく、この写真集の中の写真のように御嶽山が行者や信者であふれかえるような時代はもう来ないのだと思う。(少なくともぼくが生きているあいだには。)

だが、途絶えてはいない。小さくとも途絶えてさえいなければ、いつか必ずそのときは来る。そのときのために、いまできることは、この水脈を絶やさないこと。細くとも長く伝えていくこと。

今年一年、御嶽山はもちろん、大峰の講社にも大変お世話になった。

登拝をはじめとして、さまざまな神社やお寺での出仕も、ひとつひとつ心から有り難いと思える時間だった。

僭越ながら、御嶽山を先達する機会も何度もいただいた。一緒に行った方々から、また来年もお願いしますと言われ、嬉しかった。

もちろん、いいことばかりではない。手術で入院もしたし、仕事や暮らしのことでもずっと悩んでいた。

若い行者で調子に乗っているとでも思われているのか、心ない言葉を浴びることもあった。

だが、すべては神仏のはからい。きっといまの自分に必要な経験なのだと思う。

今年も良い一年だった。来年はもっと良い一年にしたい。

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