195 答えがわからなくても口笛吹いて
答えがわからなくても、口笛吹いて進んでいける。
これは、高校生のとき、おじさんに言われた言葉だ。
母の弟であるおじさんは、母にイタズラをしたり、近所の子とけんかをしたり、学校の授業をサボったりと、「チョイ悪」だったらしい。
でも、学校の先生にも、近所の人にも、けんかをした相手にすらも慕われていたようで、母は心のままに生きるおじさんを少し羨ましいと思っていたそうだ。
正直なところ、私はおじさんのことがやや苦手だった。
体が大きくて、声も大きくて、ずばずばものを言って、会うたびにからかってきたから。
しかし、そんなおじさんに高校生のとき助けてもらったことがある。
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当時、私は大学のどの学部を受験するか悩んでいた。
文学を学びたいが、文学部は就職が難しいという噂を聞いたのだ。
クラスメイトたちは就職に強い学部や就職に直結する専門学校を目指すと言っている。
ほかのみんなは学校に進んだ先のことを考えているのに、私は「今やりたいこと」しか見ていない。本当にそれで良いのだろうか。
そんなとき、おじさんが缶ジュースを持って家に来た。
おじさんは足音が大きいから、来たらすぐにわかるのだ。
おじさんは私を見るなり、がはは、と笑った。
「さえん顔して。なんだ、進路は決まったんか」
相変わらずデリカシーがないなぁ…と思いながら、おじさんから缶ジュースを受け取る。
缶ジュースは、私が子どものころから大好きな「つぶみ」だった。
「おじさんは悩むことないの?」
おじさんは缶ジュースを飲んで、ひとつげっぷをした。
母が聞いたら顔をしかめるほど立派な音だ。
「ねぇなぁ。そりゃ、うまくいかんことはあるよ。なんもかんもうまくいっとったら、おれは今頃大金持ちだからな。うまくいかんことも、失敗もいっぱいある。でも、選択を迫られたときに、おれはいちいち悩まん。そのときこれだ!って決めたことなら間違いなんてないからな。失敗だぁ!と思う結果になったとしても、得られるもんは絶対にある。
本当に知りたい答えなんてな、いつも見えんもんだ。だったら、ようわからん未来より今の自分を大切にした方がええ。そしたら、答えがわからんくても、選んだ道の途中で何かが起こったとしても、口笛吹いて進んでいけらぁ」
どうなるかわからない未来と、今の自分の確かな気持ち。
私は、噂や周りの声で不安になって、自分の気持ちが見えなくなっていたことを恥ずかしく思った。
そういえば、母から「おじさんはびっくりするほど正直者」と聞いたことがある。
だから、おもしろいと思って母にイタズラしたり、友達をいじめた近所の子とけんかをしたり、虫を捕まえるために授業を休んだりした。
でも、その結果母がかなしんだり、近所の子にけがをさせたり、先生から叱られて間違いだと思ったら、すぐに謝罪したらしい。
そして、同じ失敗はしなかった。
おじさんは、自分の選択で起こった結果からきちんと学んでいたのだ。
もちろん、避けられる失敗は避けた方がいい。
だけど、失敗を恐れるあまり自分の気持ちをないがしろにすることこそ、失敗なんじゃないかと、おじさんの言葉から気がついた。
いつも笑顔で楽しそうなおじさんは、自分の選択に責任をもっている。
そう思った途端、少しだけ、ほんの少しだけ、おじさんがかっこよく見えた。
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大学の文学部で学んだことは、今も私の宝物だ。
たくさんの時代と国、考え方、自分の知り得ない世界を生きた人たちの言葉を知ることができたから。
「多角的に物事をみること」「一人ひとりはちがうこと(だから尊いこと)」を学べたから。
結果的に現在文章に関わる仕事をしているが、この仕事でなくても役立つ考え方ばかりだ。
この考え方を習得できたことと、自分で選んだのだからと講義一つ一つを大切にできたことは私の小さな自慢である。
あの時、自分の「学びたい」気持ちを大切にしてよかったと思う。
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入院棟のエレベーターの中。
病院特有の匂いと静けさの中、ゆったりとエレベーターは上昇する。
「タバコ、好きだったもんね」
おじさんが癌だと聞いたとき、私はそれしか言えなかった。
母は困ったように笑っていた。
エレベーターが目的の階に到着して、廊下を歩いていく。
一緒に来る予定だった兄は、病院の外で仕事の電話をしている。
一人でおじさんに会いに行くのは、ちょっと緊張する。
おじさんと二人きりになるのは、高校生のとき以来かもしれない。
おじさんの部屋の前で立ち止まる。
なんて声をかけたらいいんだろう-。
ドアの横についた、おじさんの名前が書かれたプレートを見る。
この部屋の中にいる人に、命が危ういとわかっている人に、なんて話しかけるのが正解なのかわからなかった。
そのとき、小さな音がドアのすきまから流れてきた。
古い古いJ-POPの曲。
それは、聞き覚えのあるおじさんの口笛だった。
軽快なリズムで、少し早いテンポで懐かしいメロディが聞こえる。
その音に耳をすましているうちに、緊張していた心の奥がじんわりとほぐれていった。
大丈夫。おじさんは、今の自分を大事にしている。
そう思ってドアを開けると、髪がすっかりなくなって、ひとまわり小さくなったおじさんがいた。
「おぅ!なんだ、さえん顔して」
がらがらの声、大きな口、どこまでも明るくてまっすぐなおじさん。
私は思わず笑顔がこぼれた。
何を話せばいいか迷うことなんてない。答えもない。
私にできるのは、「今」を大切にすることだけ。
そうすれば、本当にかなしいことやつらいことが起こっても、きっと乗り越えられる。
場合によっては、回復にたくさんの時間が必要かもしれないけれど、いつかまた口笛吹けるときは必ずくる。
おじさんに今会えたことの嬉しさが込み上げて、安心して、でも少しさみしかった。
私は、さえない顔を捨てて、おじさんのベッドに駆け寄った。
病室の窓から、おじさんの明るい口笛がよく映える青い青い空が広がっていた。
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ちょっとあとがき
今回のお話は、フィクションです。
私はわりと親戚が多い方で、両親に加えてたくさんのおじさんやおばさんに育ててもらいました。
個性的な人が多く、中にはちょっと苦手だなぁなんて感じる人もいましたが、みんな形は違えど、それぞれ愛を持っていたように思います。
親戚が多いぶん別れも多くて、これまで何人かのおじさんとおばさんと見送りました。
お葬式の日は、大抵よく晴れて空の色が美しかった記憶があります。
(なぜ覚えているのかというと、火葬している間によく空を見ていたからです)
だから、昔は青空を見ると少しせつなくなっていたのですが、今はなんだか安心するようになりました。
これが時間の力であり、旅立ったおじさんおばさんが育ててくれた記憶の力なのかなと思います。
曇り空が続く中、今朝はきれいに晴れました。
青空を見ていると嬉しくなり、これまで結果的に間違えた選択もあったけれど、それもよかったのかも、と思えました。
それが空からのメッセージのように感じたので、このお話を書きました。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
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