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デジタルで変わったこと


こんにちは、今回はタイトルについて私自身思うことがいくつかありましたので、この機会にまとめてみようと思いました。

私の生まれは1988年です。すでに家にはファミコンがありました。
まだ社会人になっていない幼少期ですら、ゲームのハード、通信機器や通信手段だけでなく、エンタメや社会の価値観が学年が上がるごとに急激にアップグレードしていったものです。

当然、子供ですら変化を肌で感じる事ができた訳ですから、当時の親をはじめ大人の皆様はもっと重要な問題だったはずです。

せっかくなので、1988年から2024年までに、私を始め社会を取り巻く環境がどう変わり、どれほどの影響をもたらしたのか。
思った事をつらつらと纏めようと思いました。

なぜ記事を書こうと思ったか

初めに言っておきます。私はこの分野についての学位や専攻がある訳ではありません。ただの一般市民です。なにか特別な知識がある訳でもなく、研究をしている訳でもありません。
じゃあ何でここに記事を投稿するのかと言うと、私が生まれ社会人になる迄の20年の間に、このデジタルと言うものが目の前で急激に進化していった様と、それに伴って大人たちの態度や価値観が突然変わっていく様を目撃してしまったからです。それがあまりにも強烈で、鮮烈すぎたのです。
子供ながらに、昨日まで良しとされていたものが、朝起きたら変わっていたなんて事がしょっちゅうあったので、そりゃ言いたい事の一つもありますよ。

私も「ネットには年齢も国籍も性別も関係ない」と言うフレーズをずーーっと聞かされ、目にしてきました。だから書こうと思いました。


2000年から6年弱で社会の価値観は真逆になった(・・んじゃないかと思う)

時は1999年、私が小学校5、6年生だった頃「住基ネット」と言うものに対して、世間がものすごく反発していたことを覚えています。
なんでも、個人情報をネットに流すとハッキングされて流失して、財産を失うと言うのです。別に間違ってはいないと思いますけど・・・・・なんと言うか・・・・

みなさん今、口座に紐付けたアカウント、いくつ持ってます?

これは体感値でしかないんですが、当時の子供(2006年くらいの中高生)が携帯電話を持っているのがほぼ当たり前になった時、同時に口座に紐づけたアカウントを持つのもほぼ当たり前になったと思うんです。

子供でたった6年です。と言うことは、大人はもっと早かったはずです。

このあたりから情報共有のスピードが急激に上がった

「けしからん」系のテーマが激減したなあ・・・と言うのが、最初に私が感じたことです。どういうことかと言うと、2002年頃まで「子供にブランド物を持たせるのはけしからん」とか「結婚しないのはけしからん」「ゲームは危険!やめさせろ」とか大真面目に話してましたからね。

「ほっとけや」
それ、今ぜーーーーんぶOK!何も言われない。

それってデジタルによって世界規模で情報共有された事で、皆さんの多くが町内や狭いコミュニティなんかよりも「全体の反応規模の方が気になる」ようになったからだと思います。そのおかげで、みんなが自分の好きなタイミングで見たいものを見るようになったのでいい意味で「ほっといてくれる」ようになりましたよね。
今で言うところの迷惑系とか有名人の失言やスキャンダルは、淘汰された「けしからん」の中で奇跡的に生き残ったものって事です。現在では、だいたい「有名人や政治家のスキャンダル」「迷惑行為」が定期的に起こってそれを叩くのがアクセス数が急激に増える事象の大半だと思います。

ここに至るまでに、マナーが淘汰され、ローカルルールが淘汰され、ヤンキーが淘汰され、反社が淘汰され・・淘汰というかなんか下火になって、モノによってはなんなら消滅するまで叩き潰してきましたよね。もうご当地というか、狭いエリアにまつわる話に興味がなくなったというか、携帯電話のメール機能だったり、2ちゃんねるが登場したあたりで、情報が共有できる規模が町内から全国になってしまった感はあります。


便利さがMAXを迎えたのだが・・・

2012年頃にはもうスマホ一台あれば、買い物も出来るし見たい動画も見れるし、なんなら届けてくれる。いつでも好きなタイミングで。大人で独り身ならだーーーーれも文句言わない。
SNSでコミュニケーションもできれば、リスク回避のための監視も索敵も同時に行える。なんなら情報発信もお金稼ぎもできる。
人類のテクノロジーの究極と言っても良いくらい便利の極みだと思います。

一方で収益化を始めたサービスは・・・

収益化が始まって人が離れだした

2020年代にコンテンツの収益化は当たり前になりつつあります。
ただ、この収益=アクセス数という仕組みが、なんかテキトーというか・・・
人間てやっぱり生物なので「外敵」とか「生存を脅かすリスクというか恐怖」を五感のどこかで感じると注目してしまう習性がありますよね。
当然「だったらそういったものを発信しちゃえばみんな見るじゃん」ってなるやないかい!

本来の目的は「自分が楽しむ為に見たいものを見る」ことなので、一方的に見たくないものを垂れ流されたら、そりゃあ回避しますよね。
しかも散々垂れ流されてるので見慣れますし「これアクセス数目当てだな」とわかった瞬間萎えますし、みんなもう見破れるほどに見慣れているんですよね。

登場人物も含め、炎上の展開が容易に想像できて人が離れだした

最近になって「これアクセス数目当てだな」だけではなくて「嫌だから見ない」を平然と選択できるのが当たり前になりつつあると思います。
今度は「収益=アクセス数なら、アクセスしなければ淘汰できる」と考える人数がどんどん増えていき、やがて多数派になる結末は、皆さん容易に想像できると思います。

背景としては、これまで炎上すると相手が謝罪をしたり、活動を自粛したり「要求が通った感」を多くのユーザーに与えてしまったことに対するツケを払う段階にきたように思います。

大半の人が既に実社会とのギャップに気づいている

デジタルによって情報共有のスピードや規模が増大した事で、体感で事象の規模感が掴みやすくなりました。それによって、実社会への本当の影響力も自ずとわかるようになりました。

あまりにも興味がないものや、自分の生活に影響が出ないものを取り除いても問題がない事に気づいている方々が今後さらに増えると思います。
それによって「見ない」を平然と選択できる、無言で回避(要はミュートやブロック)が平然とできる人が増えたという事は「この人は反応するに値するか否か」という、ある意味残酷な判断でさえも平然とできるという事です。

デジタルやネットは、ついにこの段階まで人の価値観をかえてしまったと思います。

モノによりますが、数ある事象の中で「この事象、いちいち対応する必要、本当にありますかね?だって投稿者の大半は蓋開けたら・・・・・」これ以上この部分のお話はしません。


はじめから存在しなかった事にできる

この見出しにはいささか言葉足らずな所があります。
これはデジタルで変わった事で行き着く未来だと思います。

詰まるところ、デジタルの利点というか「そもそも画面に表示されなければ、無いのと同じ」という認識が今後は「叩く側に対して」もっと現実味を帯びてくると思っています。

これからの変化として、これは完全に私の勝手な想像でしか無いのですが、この先に待っているのは炎上の無い世界だと思います。これは全く良い意味ではなくて「誹謗中傷をしても、相手はおろか誰にも見てもらえない」静かに規約違反の通知が来てBANされる。運営から証拠が提示され、賠償請求が来る。みたいな流れになると思います。罰則強化うんぬんというよりももっと残酷な「もちろん賠償はしてもらいます。あと未来永劫ネット上に存在させません」という通達が平然と来て、誰も知らない。みたいな。

これまでの内容をまとめると
・デジタルの情報共有速度と規模と範囲が進化しすぎた
・みんなが見たいものを見れるようになった
・みんなの生活が超便利になった
・コンテンツの収益化が始まった辺りから「反応しない人」が増えた
・多くの人が目障り、耳障りなものは平然と消せるようになった
・多くの人がそんな残酷とも言える取捨選択に抵抗がなくなった
・そんな事をしても誰も気にしない社会になった

だからもっと自分が見たいものだけ見れるようになる。そんな未来が来ると思いました。

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