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kouhou_shibayama
政とは正義の攻防
政治の話はしない方が良い。
と知人からはアドバイスされているのです。
しかし財務省を解体?
という不思議な意見が凩を呼んでいました。
世界では財務省の様な組織が無い国は在りません。ましてやサミット開催国の日本国は
世界の経済先進国の集いに亜細亜の国々の中で唯一参加している立場にあります。
消費税が高いので不満を抱いた人々が全てを財務省のせいにしたいのかもしれません。
それとも財務省の職員が雇っていた運転手の交通事故の問題や財務省の職員が紛失した密輸業者のブラック・リストなるものが不満なのかもしれません。
財務省というのは大蔵省という組織の名を変えて2001年6月に新しく始まりましたが、月日の流れは早いものです。凡そ四半世紀前の事です。
そもそも日本国の財とは何でしょうか?
蔵の財を出し入れするという大きな安心から
財を活用する任務を与えられた省となった訳です。
外国における日本国の財産は増加しています。人口減のせいで国庫収入も増加し続けるでしょう。日本企業の株価は評価されています。国債を発行して日本政府の行政予算を確保出来る国なのです。富裕層は国債を買い支えられるのですから問題は無いでしょう。
騒がしいと人々は祭りの賑わいと錯覚して、未来の伴侶に出会える可能性もあるかもしれません。
政治の政という文字は《まつりごと》とも読まれていますが祭り事では無い。
しかし、何かを示している事は正義の攻防を政とする為の表れとなる。
とするならば、民主主義の中の人々の冬の冷たい空気に吐かれた熱い想いが在るのかもしれません。
掌を自らの息で暖めなければならないのが
冬です。
国の財とはもしかしたら国を思う人々なのかもしれません。
雑等の中に消えてしまう背中にも遠き声は聞こえてきました。
それでは、また…。
永田フミでした。