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柔軟なこころで


目の前で起きた同じ物事でも

その時、その時の


自分のこころの状態や


捉え方、考え方で

同じ物事でも印象が


全く変わっていく。




そう思うと



本当は、


目の前で何が起こっているのだろう?



じゅうなん 【柔軟】

1 やわらかく、しなやかなさま。


2 一つの立場や考え方にこだわらず、その場に応じた処置・判断のできるさま。

デジタル大辞泉


たまにどころか


結構多いのが


自分が思っていたのとは

全く関係ないことだったりする、とゆうオチ。


最後まで 


見届けてみないと結果は分からないし



絶対もない。



りんき-おうへん 【臨機応変】

その時その場に応じて、 適切な手段をとるこ と。また、そのさま。  

デジタル大辞泉



全然関係ないけど


私は、自分で怖いくらいの方向音痴だ。


そんな方向音痴な私だが


通りすがると、なぜか道を聞かれる。


以前は、


時間ギリギリに出かけていたので


あたふたと急いでいる時に


道を聞かれて


本当に困ってしまった。


そんなのが何度もあり


今では


だいぶ時間にゆとりをもって出かけている。


道を案内していると


「忙しい時に申し訳ない。」


とよく言われるが


そもそも時間があるので


道が分かるところまで一緒に行くくらいなんてことない。




自然と


一緒に歩いていると 


自分がどうしてここへ来て


どうしてそこに行くか?の話になる。


だいたい迷うようなところへ来るときは


いつもじゃないところに自分はいて


たまたま歩いていたら


なんだかそこにいた、わけでなく


いつもの日常から自ら踏み出た


そこは、自分にとっては非日常な場所でもある。


その非日常的な場所だけど


迷いながらも辿り着がなくてはならない


目的地とゆう、目指す場所、理由がある。




迷うって、


ドラマだなって思う。




結局、


私が急いでいようがいまいが 


道は聞かれるが


時間のゆとりをもって出かけると


会話も出来るくらいの気持ちのゆとりも出来る。  


ゆとりって大事だなと思う。







あと、本当に便利だなと思うのが



GoogleマップとYahooマップ。


方向音痴な私でも


的確に道も教えることが出来るし


方向音痴な私も


どこへでも辿り着くことができる。


自分が方向音痴なだけに


迷わないで辿り着けることに


いちいち感激してしまう。








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