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キャリア棚卸(2社目:シーメンス)
入社するまでまったく知らなかったんですよねシーメンス
1社目で12年半お世話になったあと、自分としてはまさに「飛び込んだ」形で、ドイツの重電大手シーメンス という会社の日本ブランチに入社したのは2004年10月
五反田から徒歩10分くらい、いまも現存している20階建ての高輪パークタワー、当時はヘッダーの写真のように「SIEMENS」のロゴが掲示されていました
入社直後
入社日
入社時は自部署はなぜか1階にあり、謎に高い天井・謎の中二階、そして同じ日に私ともう1名入社したのですが、私はなぜか受け入れ部署に認識されておらず、しかも自分を雇ったマネジャーはその日から大阪に異動しており、会ったこともない人が上司、と手痛い洗礼を浴びた入社日となりました
英語で苦労
当時の同僚はクセの強い人が多くて結構苦労しました
何だったんでしょうね、あのワイルドサイド感
それに、英語は思った以上に通用せず、TeamsやZoomなどビデオ会議をするツールも翻訳ソフトも無く、本国側とのやり取りはメールで事前に内容を送っておいてそのあと電話をする、みたいな感じ しかもデスクの固定電話しかなく、周りの人に聞かれると恥ずかしいので、人がいない時間に冷や汗かきながら電話していました
営業からサポートまで一気通貫
当時は人数も少なく代理店網ほぼ無し、完全新規開拓で主に半導体装置メーカー向けの営業をしていましたが、単体製品の販売からサポートまで
基本的には自分でやり通すというような形でした
前職でやっていた製品と大差はなかったはずなのに、すべて自分でやり通すというのは大変でしたが、それまで日本では拡販をしてこなかった製品群を2カテゴリー、初期営業からマーケティング、資料作成などを行ってきたことは後々生かすことができます
その後主力製品に育っていきましたし、入りとしてはとても良かったと思います
この時期は営業もしましたが、いわゆる「プロダクトマーケティング」という仕事をやっていたことになります
組織的にはとても進んでいたと今は思います
本社側にプロダクト担当が居て、レポートラインが2方向(自分のラインマネージャーと、本社側の担当マネージャー)あるクロスファンクション組織で業務効率が良かった記憶です
年に2回ほどプロモーターミーティングというものが本国ドイツで開催されていたのですが、2つ製品群を抱えていたため年4回、しかも2006年のドイツワールドカップへプライベートで行ったこともあり、2006年は5回訪独して結構疲れました
事業部本社のあったニュルンベルクは第二の故郷のような街となってます
また行きたい!
営業マネジメント
地域営業
マルチロールでプロダクトマネジメントと地域営業もすることになりまして、同時にパートナープログラムのローンチも重なり、代理店開拓も行っています
営業ということをしっかりやってこなかったこともあり、いろいろ悩みながら学びながら営業活動をしました
当たり前ですけどニーズの無いところに売り込んでも何も起きない
自然に「顧客の成功のために提案する」というスタイルになっていきました
大阪、福岡、そしてリーマンショック
2007年に大阪に異動になります
前任者が突然退職したことによる異動ですが2つ返事で引っ越しと転勤
2年半ほど尼崎市に住みました
営業マネージャーとして、最終的には10名以上のバラエティ豊かなメンバーと仕事できて面白いことばかりでした
代理店も順調に増え、顧客や代理店のハイレベルの方と話すことも増えてきた時期でした
先に挙げた日韓ワールドカップのボランティアで友達になった仲間が関西にもたくさんいたこともあってとても楽しく過ごしました
福岡に営業所を作ったり、自社の製品を使ってもらうことで新たな顧客を獲得できたラインビルダーと成功を祝ったり、充実した日々でしたが旅の終わりは突然やってきます
2008年9月に起こったリーマンショックの影響により、年間の需要が1/10になってしまうなど2009年には影響が如実に表れます
シーメンスのグローバルでの組織変更もあり、東京へと戻ることになりました
後半戦
標準技術のプロモーション
東京に戻り、任された仕事は産業用イーサネット規格を日本に広めることでした
日本の顧客により広くシーメンス製品を使ってもらうための施策で、標準化団体とのコラボレーションや、日本の産業用機器メーカー各社へのプロモーション、エンドユーザーへの提案など活動は多岐にわたり、この時期だけでも100社は訪問しています
単に売る買うの関係ではなく、コラボレーションによるWin-Winを構築する活動で、自分には性に合っていたかもしれません
しかしここには書けない(書きたくない)事件が起きます
世の中のマーケティングというのはある意味騙しあいなんだと痛感した事件でもありました
アカウントマネジメント
産業用イーサネット技術もそれなりにマーケットに浸透はしたものの、どうしても加速しません
先の事件も影響はしています
このため、より上流のニーズを喚起すべく、国内自動車メーカーのアカウントマネージャーをさせていただくことになりました
週の大半は名古屋ですごし、また出入りの代理店コラボしたり、世界中の同僚と連携し、各地の工場を訪問するなどしました
ケンタッキー訪問や、デトロイトからトロントまでレンタカーで4時間の単独ドライブ、ハンガリーやポーランドを訪問したのもいい思い出です
インダストリー4.0とIoT
当時のシーメンスは積極的に企業買収を通じてIT企業に生まれ変わろうとしており、大手3DCADソフトウエアのNXのメーカーであるUGS社を2007年に買収し、日本でも活動をしておりました
一部の製品で関連がありインテグレータなどを通して交流がありましたが、この自動車アカウントマネージャー時代に直接的にコラボレーションをすることになります
同じシーメンスとはいえ全く違う文化や製品群、学ぶことばかりでした
トップコンタクトを常に意識し、顧客の困りごとを解決するアプローチ、プロセスを連携させることで様々な業務を劇的に改善させるなど、先進IT企業のすごさ、外資ITのトップ営業の皆さんの迫力は感動的ですらありました
時流もドイツが世界的に絶好調で、日本の様々な企業がドイツ企業に関心を持ち、インダストリー4.0は一時Buzzワード化していましたね
しかし、BuzzワードはBuzzワードでしかない、ということも後々わかります
IoTも、もともと日本の様々な企業やユーザーで行われていたことが簡単にできるようになったということで、IoTやインダストリー4.0で成功した企業はどれほどあるのだろうと思わないでもありません
もっと成長したい
今考えれば世界に冠たるシーメンスで働けたことはラッキーでした
B2B営業、アカウントベースドアプローチ、Cレベルコンタクト、インダストリー4.0、パートナーデベロップメント、Win-Winアプローチなど今でも現役で使えるノウハウを学びました
同僚にも恵まれ、グローバル会社で働くことの意味意義もしっかり理解でき、飲み友もたくさんでき、営業マネジャーも経験させていただき、結局こちらも12年半お世話になることができました
1社目とは別の意味で大きく成長できた幸せな時期でした
しかしもっと大きな責任(とお給料)が欲しくて、部長職をオファーしてくれた外資系メーカーに転職することになるのですが・・・これは有料コンテンツになりますね笑