見出し画像

何のために。

意味のない時間がイヤだ。

遠回りすることが嫌いなわけではない。
遠回りには遠回りなりの意味がある。

何もしない時間も必要だと思う。
なにもかも詰め込みすぎて、常に何かを追い求めていたらオーバーヒートしてしまう。休憩は必要だ。

ただ、何も生まれないムダな時間が好きではない。


多くの時間に意味を持たせるにはどうしたら良いか。

僕は「なんのために」があればその時間には意味が生まれると思う。

「自分の夢のために」「家族のために」
「お金を稼ぐために」「死なないために」

理由はなんだっていいけど、何かのために過ごしたり頑張れたりする時間は絶対にムダにならないと思う。


僕はいつからか「誰かのために」生きたいと思うようになった。生きたいと言えば大袈裟だけど、誰かのために何かをしたいと考えるようになった。

いつからなのか、はっきりとは覚えていない。けれどそれが大学時代なのはわかっている。
大学は東京を離れたので小学校もしくは中学高校までの自分しか知らない人は多いはずだ。高校までの過去の自分しか知らない人はこれを見て驚くだろうか。

「お前そんなこと言うやつだっけ?」

そんな声が聞こえてくる気がする。間違いない。

高校まではどこまでも自己中心的に、自分のために生きてきた。自分が試合に出るために、自分が頭良くなるために、自分が心地よく快適であるために、人に当たりながら貶しながら生きてきた。

そんな僕を変えたのが筑波大学、そして蹴球部。もっと言えば蹴球部時代に関わった人間たち。(入る時も入ったあとも騒動を起こしたことはここでは割愛)。

当時はただ必死に生きてた。必死と言うほどひたむきにやれていたか、自他ともに認めるほど頑張れていたかと言われたら自信はないけど、過ごしてく日々の意味を考える余裕なんてとてもじゃないけど無かった。

今思うと感じることがたくさんある。
狭い世界で生きてきた自分にとってあの場所は良い意味でとても広かった。果てしなく広かった。目指す場所、求められること、出会う人間たち。すべてが刺激的だった。なにもかもが成長に繋がっていた。

おそらくこのまま行くと本題から外れるので、これ以上の想いはまた別の機会に。

3年半ほど続けた学生トレーナー。初めはただ自分がトレーナーになりたいだけだった。フィジカルコーチになりたいのかメディカルトレーナーになりたいのか何もわからなかったけど、トレーナーになるためにスポーツ科の最高峰だと思った筑波大学を受験し、合格した。

毎日2つの練習に行き続けた結果、今振り返ってもバカみたいな生活をしていたけど、自分にはあれが合っていたと思う。もし自由な時間を与えられていたら僕は何を得られたんだろうか。きっとムダにしていたに違いない。

ただこの生活を通して、僕は「誰かのために」がんばることを覚えた。そしてそれが嬉しいと思えるようになった。

初めはただ「ありがとう」と言われることが嬉しかったのかもしれない。結局自分の満足感だったのかもしれない。けどそれが時を経て「相手が喜んでいる姿を見たい」とか「相手の笑顔を見たい」とか思うようになってきた。「誰かのために」何かをすることがこんなにもモチベーションになることは初めてだった。

もちろん相手が誰でもよかったわけではない。大学トップレベルでプロサッカー選手になるような学生がたくさんいる蹴球部だったからこそ、そう思えたと信じている。
いつまでもサッカー選手には憧れる。なれるもんならなってみたい。そんな憧れの場所に進んでいく人たちと毎日関わりあえたからこそ、その人たちのためにがんばりたいと思えたんだと思う。

そして、何より僕を見てくれる人たちがいた。
忙しさに甘えていないか、叱ってくれる人がいた。まだまだ未熟であると常に再認識させてくれる人がいた。いつまでも届かない存在だと思わせてくれる人がいた。僕がプレーしてる姿を、トレーナーとしての姿を応援してくれる人がいた。

学生トレーナーの頃の僕は何もわかっていなかった。知識もなければ治すこともできない。
ただ、安心感を与えられる、いてほしいと思われるトレーナーになろうとだけ思いながら頑張っていた。だけどやっぱり、直接的に誰かの力になれた感覚はない。特に1番大事な同期に何かできたかと言われたら、何もできていない。

だから今は早くその場所に行けるように、「誰かのために」なれるような人間にならないといけない。


最近はスポーツ選手に限らず、多くの同い年の仕事をがんばっている人たちの力になりたいと思っています。宣伝みたいになってしまうけど、お疲れの方は連絡待ってます✌️

いいなと思ったら応援しよう!