加耶:古代朝鮮半島の鉄の王国
纒向学[まきむくがく]研究センター(奈良県桜井市)の論文集『学の最前線』の中から、僕が印象に残った論文を紹介するシリーズ。
今回のテーマは加耶[カヤ]です。朝鮮半島東南端の釜山・金海[キメ]周辺の地域を指します。金官国(金官加耶)、阿羅加耶、大加耶、小加耶などの国があったとされています。
論文:朝鮮半島南部の諸勢力とヤマト王権の対外関係
筆者:井上主税[ちから]氏(関西大学文学部教授)
朝鮮半島南部の国というと、百済[ペクチェ]や新羅[シルラ]が有名で、加耶はあまりなじみがないですね。日本書紀などには任那[みまな]として出てきますが、現在は加耶(または伽耶)のように呼ばれています。
魏志倭人伝の倭国への道程で、帯方[たいほう]郡から7000里と記され、最初に出てくる狗邪韓国[くやかんこく]は金官国と言われています。
井上さんの論文では、2世紀後半から4世紀の加耶と倭国の関係を、中国の文献(魏志韓伝)や土器・鉄製品といった考古学的遺物に基づいて紹介しています。
論文の内容を、僕なりに整理して一覧表にしてみました。論文をかなり読み込んで作りました。黄色いセルが重要な出来事になります。
論文の「おわりに」がわかりやすいので引用します。
つまり、弥生後期の近畿の鉄資源の入手(優位性の確保)も、古墳中期の河内政権の登場も、東アジアの動向によってもたらされたという面があるということです。中国の混乱・弱体化があったからこそ、朝鮮半島の国も、倭国も、ほぼ時を同じくして自立していったのですね。
東アジアの動向なしに日本の古代史は語れません。
加耶で出土した鉄製品:歴博の企画展
加耶は古代の鉄の産地でした。三国志の魏志韓伝には「国は鉄を出し、韓、濊[わい]、倭はみな従いてこれを取る」と記されています。濊というのは朝鮮半島中部東海岸にあった国です。「加耶は鉄を算出し、韓人も濊人も倭人も取引していた」という意味だと思います。
倭国ではまだ鉄が採れませんでした。鉄器は加耶産の鉄に頼っていたわけです。
産地は今の慶尚南道[キョンサンナムド]陜川[ハプチョン]郡冶炉[ヤロ]周辺とされています。冶炉とはいかにも製鉄の名残です。Google Mapで検索すると冶炉中学校が出てきます。
陜川には、現在は映像テーマパークもあって、韓国ドラマなどのロケ地になっているようです。
鉄の産地だったことを反映して、加耶の遺跡からはみごとな鉄製品の出土があります。折しも、2022年10~12月には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で企画展「加耶」が開催されて、僕は11月3日に行ってきました(九州国立博物館でも2023年1~3月に開催されます)。
加耶ー古代東アジアを生きた、ある王国の歴史ー
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p221004/index.html
企画展では、冠、耳飾りなど金銅製のきらびやかな装飾品が人気でしたが、僕のお目当ては鉄製品でした。
トップ写真の左は鉄製の鎧[よろい]。日本でも似たものが出土しています。渦巻き文様が特徴的です。
写真右は有刺利器[ゆうしりき]と呼ばれます。鉄の延べ板に勾玉状の飾りを取り付け、下側のソケットに長い柄を付けて、儀仗[ぎじょう]として儀式に使われたようです。有刺利器は日本では見かけないと思っていましたが、井上さんの論文では奈良県黒塚古墳、滋賀県安土瓢箪山[あづちひょうたんやま]古墳での出土例が紹介されています。
他にもたくさんの鉄製品が展示されていました(右下の冠は金銅製)。
鉄を持ちながら小国だった加耶
僕が不思議なのは、加耶は鉄の産地でありながら、どうして小国に分かれたままで、百済や新羅のような大国にまとまれなかったのかということです。金官国は532年、大加耶は562年に新羅に滅ぼされます。
資源があるばかりに油断したり、地域のエゴがまかり通ってしまったのでしょうか。それとも聡明な王が生まれなかったのでしょうか。
加耶が大国としてまとまっていたら、しかも倭国の友好国だったなら、倭国の古代史もまた違ったものになっていたと思います。
(最終更新2024/11/25)
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(追記2023/3/3)
僕が入院中の2023/1/20に『纒向学の最前線』がPDFで公開されました。編集部に感謝します。
井上さんの論文は分割版3(p517-526)となっています。
https://www.city.sakurai.lg.jp/material/files/group/54/10thcontents_3.pdf