ディエゴ・マラドーナ 人間の形をした「神」
偉大なる巨星、逝く。
ディエゴ・マラドーナがこの世を去った。
現役時代、メキシコW杯制覇やイタリアセリエAナポリでの活躍はもちろん、プレー自体がもはや伝説的に語り継がれる、唯一無二の存在だった。「神の手」「五人抜き」はまさに「神の業」として、サッカーファンならば知らないものはいない程であり、深く歴史に刻まれている。
選手生活晩年の薬物使用や私生活での様々な醜聞という、「影」もマラドーナという人間を構成する一部ではあったが、グラウンド上でのプレーや、引退後も放ち続けた存在感は光に満ちていた。そして、スーパースターが強烈なインパクトを残したのはやはり、ワールドカップという大舞台だった。
マラドーナが選手として最後の出場となった1994年のアメリカ大会。グループリーグ・ギリシャ戦でのマラドーナのゴールは、スーパースターが放った最後の輝きだったのかもしれない。相手ゴール前で細かいパスの連続から、最後はボールをコントールしたマラドーナが左足でゴールに突刺した。そして、その後のテレビ画面に映し出された、雄叫びを上げる得点者の表情。当時高校2年、17歳だった自分はあのシーンをリアルタイムで観ており、ワールドカップという舞台の華やかさと、引退が囁かれていたマラドーナの現役を目にすることが出来た喜びを、興奮と共に感じていた。
その数日後、禁止薬物の使用が発覚、アメリカ大会から追放となり、最高峰の舞台から自ら降りた、いや、転がり落ちる形となったマラドーナ。アルゼンチンも勝ち進むことが出来ずに敗退、天才を失ったサッカー大国はあまりにも脆く、崩れた。
前年の南米予選では、土壇場の大陸間プレーオフで代表に復帰し、アルゼンチンは辛くも出場権をもぎ取り、本大会でも背番号10がチームを去った途端、ラ・セレシオンはピッチに沈んだ。そしてその事実は皮肉にも、醜聞に包まれていたマラドーナというプレーヤーの偉大さをさらに感じさせることとなる。
2010年南ア大会には監督として母国を率いた。当時の中心だったリオネル・メッシは同じ10番を背負い、後継者としての役割も期待され、マラドーナとのやり取りは特に注目を集めていたことを憶えている。ただ、青と白のユニフォームを纏ったメッシはもう次のW杯への可能性は極めて低く、マラドーナ以降、アルゼンチンに勲章(W杯優勝)はもたらされていない。
選手時代、そしてピッチを離れてもそのカリスマ性は絶大だったサッカーの申し子。アルゼンチンという国名を広く世界に知らしめる存在でもあった、ディエゴ・マラドーナは2020年11月25日、次なるフィールドへと旅立った。(佐藤文孝)