カズオ・イシグロ クララとお日さま
Photo by Caroline Hernandez on Unsplash
「こんなことするなんて、あなたらしくないっ」
と言われることがあります。「あなたらしい」とは?と思う一方で、私という存在は、この肉体の中にある部分だけでなくて肉体をはみ出して、世の中に漏れている気体があるのではないかと疑ってしまいます。
カズオ・イシグロの新しい小説では、いつも彼の小説に登場するおなじみの俳優さんたちが新しい配役をもらって活躍しています。歴史小説であったりSFめいたファンタジーであったり、イシグロ氏の舞台装置は毎回まったく異なるのですが、役者さんは「イシグロ組」の常連さんの役者さんのように思えてしまいます。
冒頭に書いた話。今回のイシグロ氏のテーマは、分断された社会という難しい舞台を置いて、人の意識の流れとその所在がどのようなものかを丹念に描いています。
物語はArtificial Friends (AF) つまり人工的に造られたたぶんアンドロイドのような存在であるクララの視線で一人称に語られます。クララの「元気のもと(おそらく動力源)」は太陽光なので、クララは他のいかなる動作可能な物体も「お日さま」の力をその生命の源にしていると考えているのです。
Photo by Anzhelika Anpolskaya on Unsplash
とはいえ、イシグロ氏のいつもの倣いで一切のテクノロジー的な説明は省かれています。そのため一つの物語としての抽象性が生まれ、そんな世の中が実際にあるからこの話が出来たのだろうな・・と思って読みました。クララの視線の描き方は絶妙で、一時的にクララの処理能力が下がる場面での視界の変化や、情報の処理の情景はほんとうに鮮やかな映像が手に取るように伝わります。
ある人が、その人であるということはいったい何をもって言えるのでしょうね。イシグロ氏のこの作品を読んだ今となっては、昨日ほど確信をもってそのことを言えないのです。
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