最近の日経春秋の劣化がひどい
読むに耐えなくなってきたので、書き留める。
日経春秋5月20日
松本清張に代表される戦後の推理小説は「動機」を重んじた。荒唐無稽な犯罪を退け、犯人がなぜ重大事件を起こすに至ったか、社会性のある動機にこだわったのである。
田村正和氏の死去が報じられた直後だった。古畑任三郎を演じた氏への追悼かと期待した。だが、違った。話はつぎのように続く。
ところが現実に起きた話なのに超現実的なのが、愛知県知事リコール(解職請求)をめぐる署名偽造事件である。
たしかに、こちらも世間を騒がせている事件ではある。だが、つぎのように尻すぼみ。確たる事実を握っているのなら示してほしい。
これにて謎解きはおしまいなのかどうか。そもそもこの運動は、くだんの院長の盟友といわれた河村たかし名古屋市長が全面的に支援していた。先日の市長選で4選を果たした市長だが、それでもさまざまな形の責任を問う声は強まるに違いない。社会派の作品であれば、まだ物語の半分くらいのところである。
よもや示すべき事実がないとすれば、「それってあなたの空想ですよね」。警察が動いたのだ。静観すればいい。
日経春秋6月1日
大坂なおみ選手が1回戦の勝利の後、コートでの取材には応じたものの、記者会見は断り、主催者から約165万円の罰金を科せられたという。大会前から「心の健康状態が無視されている」と表明していたそうだ。
大坂選手は黒人差別や憎悪犯罪に抗議し発信してきた。現代のプロ選手は競技以外にも様々な役割を担い、会見も時に人間像を探る手法に傾く。ファンがそこに注目するからでもあろうか。「さよなら、せいせいした」。彼女はこんなメッセージもSNSに載せた。「帰っていいすか」に比べ、何と手触りの冷たいことか。
筆者のコメントはつぎのtweetのとおりだ。
日経春秋6月8日
トップアスリートなのだから、メンタルだって強いはず――。私たちはなぜ、そんな勝手な思い込みをするのだろう。よくよく考えれば、試合の上で闘う気力や精神力と、ひとりの人間に戻った時の心の強さとは別物であって当たり前。
「私たち」などと他人を巻き込まないでいただきたい。勝手に思い込んだご本人が、まず真摯に反省すべきではないのか。
己との闘いでもある勝負の世界は孤独で苛烈である。その中に生きる人の苦しみに理解を示す社会にしたい。
「社会」の構成員は「個人」だ。そして、「メディア」の影響は、残念ながらいまだ強い。「社会」に責を帰す前に、記事を書いた「個人」として、そして「メディア」としての責任を省みるべきだろう。