おめでとうの七つの味。思いついて通っただけの道場で聞く、おめでとうの味わい。
おめでとうには、七つの味がする。
単一の味だったはずのおめでとうは、人生が展開してゆくにつれて、味わいを変じてゆく。
だれかには甘くても、だれかには苦くて、その場にいるだれもが一色に染まることはない。
あの人には酸いだろう。遠目に見て思う。どういう気持ちで聞いているのだろう。
目を向けても笑っている。大人なのだからそうだろう。お酒をのんで笑うしかないだろう。
やけ酒なのかも、こころから喜んでいるのかも、わからない。
目に染みる辛さかもしれない。もたれるようなあまさかもしれない。
ともに味わう甘美かもしれない。
羨望もあれば、投影もあるだろう。無力感もあれば、力強くも感じるだろう。
傷口にすりこむ塩かもしれない。しびれて感じないのかもしれない。
しびれなんてもはやどうでもいいのかもしれない。
おめでとうには味がある。
人はその味を、顔に出さない。
大人なのだから。子どもじゃないんだから。
そうやって、七つの味は、おめでとうの場に静かに沈められていく。
すぐに深度を増してしまうから、顔色も読めない。
沈没していく七味を見守りながら思う。
わたしの舌は、いま何を感じているのだろう。
わたしには、なんの味なんだろう。
その味が、ひとつになるときが、あった。
ある、そう。町の道場、合気道の昇級審査。
年もばらばら、経緯もばらばら、ただ入門の時期がたまたまいっしょになって、同じ曜日に同じように、首をひねりながら、笑いあいながら、半年くらいしょっちゅう会っただけの仲間の気持ちが、ひとつになる。
10人くらいで一斉に受けるから、一斉に急に稽古に熱心になり、急に出席率があがり、急に休み時間をぜんぶつぶして復習し出す。
技のキレがだんだんよくなっていき、顔が真剣になっていき、左右の確認が細かくなっていく。
——踏み込むのは右足ですか。
——目線落ちてる。
——ここも一線になりますか。
——相手に高さをあわせないで、背筋伸ばして。
たくさん指摘してくれていた先生たちも、近づけば近づくほど、自信を持つように言葉を重ねてくる。
——形はできてるから、力を抜いて。
——まちがえてもいいから、堂々として。
そして本番。
ギャラリーに、別の曜日のお世話になった先生たちが並ぶ中。
あんなに練習したのに。
あんなに暗唱したのに。
いつもキレキレだった人の技は曇り、暗唱の途中でまっしろになった人もいて、わたしはもう、立ち姿からできていないふわっふわだった。
なんだか、ぜんぜん、だめだめだった。
技のキレとかいうレベルじゃなかった。
まっすぐ立ってさえいなかった。
足先が遠くなったり近くなったりした。
うちの流派は特に、技とかじゃなく、「日常であがらない」、どんなときも平常心でいることを稽古の目的にしているので、瓦解。足もとから瓦解。
崩れ落ちる。
とはいえ、合格だった。みんな合格。
おわったあとに畳の雑巾がけをしながら、声をかけあった。
——おめでとうございます。ほんとに。
肩を叩いて、満面の笑顔。
——おめでとうございます。
みんな合格したから、みんなで称えあう。
仕事のあとに、早朝から、平日も休日も、通えるだけ通った仲間たちと。
合格はもらえるかもしれないけれど、あんまりかっこわるいことはしたくないから、せっせと稽古をし合った仲間たちと。
動機も境遇もどこも重なるところがないけれど、同じ時期に同じ道場にいたという一点のみで合致している人たちと、同じおめでとうの味を味わう。
苦くもないし、酸っぱくもない。
辛くもなければ、涙の味もしない。
今の生活のなかで、やれるようにやった。
一陣の風がわたるような、おめでとう。
同じ味わい、おめでとう。
だって、ただの趣味の昇級審査だから。
おおごとじゃない。人生左右されない。昇給もしない。出世もしない。
落ちたってなんてことない。人生かかってない。
突然思いついて、突然、町道場のとびらを叩いて、せっせと懐から月謝を出して、せっせと通い、勝手に受けただけだ。
帰り道、わかれぎわに言い合った。
——このたびは、おめでとうございました。
——おめでとうございました。
ああ、なんていい響き。
みんなみんな、おめでとう。全員がおめでとう。気軽におめでとう。気楽におめでとう。
かるくてすぐ溶ける、わたがしのような、おめでとう。
この世的にはたいしたことない、自分としてだけたいしたことある、涼やかなおめでとう。
あしたには消えてしまうおめでとう。
余韻だけはずっとのこるおめでとう。
審査後の飲み会。お稽古おわりが21時すぎ、着替えて飛び込んで、開始時間21時半。
明日も仕事なのに、ずらっと集まって、乾杯の音頭。
———先生、みんな合格ですよね?
———合格です!
自分にだけ価値があるおめでとうは、どこか神聖なところから、これからも自分を励ましてくれる。
みんなおめでとう。
わたしもおめでとう。
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