私のこと|母との電話が心底嫌い
ふみのてです。
昨日37歳になった私。
永遠の反抗期真っ只中であります。
久しぶりに母と電話をして、どっと疲れた。
通話時間13分。
ほとんど会話してない。
のに、だ。
今日は母と私のことをつらつらと書いていきます。
私は母とまともに会話ができない
『今日こんなことがあった、あんなことがあった。』
という「ふつうの会話」が、子どもの頃からできなかった。
そのまま大人になったから、今でもずっとできない。
電話だと尚更で、自分から何を話したらいいかわからないし、話したいことが思いつかない。
たいていは母の他愛もない話しを聞いて(聞き流して)、相槌を打つだけ。
そして沈黙……。
母の「特に用事はないけど声が聞きたいから」という気持ちがまったく理解できないし、嫌悪感すら抱く。
(ちなみに母はスマホを持ったことがなくてLINEもできない!連絡手段が電話だけ)
なにこの時間?
はー、なんで電話とっちゃったんだろ…
(ずっと無視してる時期もあって、それから掛けてくる頻度はかなり減った)
この電話楽しいの?いや絶対楽しくないよね?むしろ虚しくない?
…
私の頭の中ではこんな声が反芻するのが常。
母は悲しんでいるだろう。娘とろくに会話ができないなんて。
趣味もない人だから、寂しさをなにかで紛らわすことも下手だろう。
偽りであろうと、私が楽しく明るく接するべきなんだろう。
私はただ甘えているだけ。
そう思う。頭では分かっている。
でも、
嫌なものは嫌。それでいいと、
自分を責めないと決めたけど、やっぱり後味が悪いのは仕方ない。
だから私から母に電話をかけることはまずない。
私が住んでいるのは九州で、実家は東北。
旅費もかかるし用事がなければ帰省しないので、もう3年くらい帰っていない。
母と顔を合わせて話すこと自体がほぼない環境。正直それに安堵している自分がいる。
いつも聞く側だった私
これは私の幼少期の記憶だから、だいぶ曖昧だし都合のいい解釈に変わっていることもあるかもしれない。
母は、まず自分の話したいことをばーーーーっと話す人だった。
とくに祖母(母の母)に対してはすごかった。
姑(ばあちゃん)の愚痴、夫(父)の愚痴など、とにかく誰かしらの話を、マシンガントークで話し続ける。
祖母はずっとうなずいて聞いていた。
「そんなこと(愚痴)言うもんじゃない」とか言うと、母に猛反撃されると分かっているから、もう何も言えなくなったんだろう。
私は小学生低学年くらいだったと思うけど、やっぱり「家族の悪口を聞く」って嫌だったよ。当たり前だけど。
あの部屋の暗い空気、泣きたくなる気持ちは、ちゃんと覚えてる。
私が学校から帰ってきて、母の話を聞く前に今日の出来事を話したこと、あったのかな?
あったんだろうけど、記憶がない。
母がそんなに何を話していたのかも、もう覚えていないけど。
自分から話さない(話せない)私は、
『手はかからないけど何考えてるか分からない子』だった。母もそう言っていた。
そんな感じに『聞く側』で育ってきた私は、ようやく母が「今日どうだった?」的なことを自分の話より先に聞いてくるようになった頃には思春期に突入していて、
「別に」
「ふつう」
「うん」
と思春期あるあるの返事しかしないフェーズに入っていた。
それからだいぶ月日が流れても、会話はだいたい同じ感じだった気がする。
もちろん、母とふたりで出かけたり、ふつうに話したりした日もたくさんあったし、常にギスギスしていたわけではない。
けど、
自分から何を話せばいいかわからない
という根本は変わってないってこと。
できないんじゃなくて、やらないだけ
ですよね。
分かっている。
幼少期にこうだったから、できない。
できないのは仕方ない。
やってきてないから、できなくて当然。
…
という理屈も分かるし、実際その通りだと思う。
けど、もう大人ですから。
自分でなんとでもできるんです。
できるのに、「やらない」を選んでこじらせているのは、私だよ。
それも知ってる。
決めきれていないんだよね、自分が本当にどうしたいか。
電話とか会話とか云々もそうだけど、母との関係自体をどうしたいのかって、考えることから逃げ続けてる。
真剣に向き合う
↓
決める
↓
伝える
なんだよなあ。
逃げ続けてもいいじゃんって思ってたけど、ここにきてこう綴っているってことは、うーん…タイミングがきたかな!?
冬至だしね……
は〜〜やだよぉ笑
ーつづくー