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道は開けるのか

2020年に私たちが失うものはなんだろう?
ご存知の様に世間では感染症のお陰でその生活を変えざるを得ない人々がいます。
閉店を余儀なくされた飲食店で働いていた方。
予約がキャンセルになった宿泊業の方。
そして人が集まる事そのものが意味を成していたエンタメ界もまた、大きな壁に突き当たっている所だと思います。

先日、某アーチストの配信ライブというものに初めて参加してみました。
演者が向き合うのは目の前にいる観客ではなくカメラ、と言うことになります。

良かった点
①音がとても良い
ライブ会場と言うのは箱の大きさにもよりますが、作品としての曲を家で聴くのとかなり環境が異なる為、その聞こえ方も左右されます。
ライブで聴くと「これ何の曲だろう?」と思う程、曲の輪郭がぼんやりして印象的なリフや歌詞が流れてこないと聞き手が理解しにくい事がありますが、参加したライブ配信においてはPAで調整した音がそのまま流れてくる感じで(要するにスピーカーから流れてくるエアー感を一切排除できる)家で何かを聞いている時と差がない印象でした。

②複数のカメラを用いたロングやアップのショット
普通に会場にいたら観客としては観れるのは舞台というフレームの中に収まった演者である訳ですが、配信のメリットとして複数カメラを用いてアップやミディアムショットが撮れる事でいわゆるロングショットの形でしか観られないライブがかなり多角的視野で観られる点です。

難しいなと思う点
①ライブの「要素」としての観客が醸し出すもの
空気ですね。人がワサワサいるのといないのとでやっぱりその場の空気って違いますよね。良かった点の①とある意味被る点ですが、いい意味でも悪い意味でも「エアー」が大事なんだなと改めて思いました。
もちろん観客の声、拍手など通常聞こえてくるものが聞こえないのは違和感がありますよね。

②ライブっぽく感じられない
これも良かった点②と被るんですが観客が通常は客席にいて一方向からしか見れないのがライブであって、そこにカメラが入ってある意味最前列よりも近いショットが観れるという「非現実感」がライブと言うリアルを台無しにもしている気がします。かと言って固定点からロングショットで延々とその映像を見ているのもちょっと違う気はします。

ここまで書いて結論は結局ライブ配信というのは無理がある、という事でしょうか。試行錯誤で色んな可能性に挑戦するのは決して悪いことではありません。が、しかし限界があると思います。
ライブは要素としての観客が演者と同じ場にいて成立するのだとつくづく感じます。
箱と演者と観客、この三つが同じ時間に揃わないと魔法が生まれないのではないかと。
ニコニコ生放送などの様に画面にオンタイムでコメントが流れるやり方もありますがこれはこれで鬱陶しく感じる方もいるでしょうし、なんとも歯がゆい。

全てが今年起きた特異な出来事となること(また以前の様な生活に戻ること)を本当に本当に望んでいます。羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く様な事態を生み出すのは誰であろう人間なのです。

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