She or He ? 〜小説「ヒゲとナプキン」に至るまで【その3】〜
(全文無料公開)
13年前に拙著「ダブルハッピネス」(講談社)を出版した僕。
セクシュアリティをオープンにするなら水商売、昼間の社会で生きていくならクローズで、ほぼその二択しかなかった時代に、早稲田の現役大学院生がカミングアウトということに驚く人は多かった。スポーツの日本代表という、社会から評価を得やすい肩書きがあったのも多少のインパクトになったようだった。しかし、セクシュアル・マイノリティはもっと身近な存在なのだということを伝えたくて書いた僕の気持ちとは裏腹に、出版後はどこに行っても「性同一性障害の人」というレッテルを貼られ、珍しい人として扱われた。
当時からNPO法人グリーンバードという団体でゴミ拾いのボランティア活動に参加しているのだが、街の清掃活動の件で取材を受けたはずなのに、「グリーンバードの杉山文野さんは性同一性障害を乗り越えて掃除をしています!」という記事になったほど。(ゴミ拾いに性別関係ないだろ)
どこで何をやってもそんな調子だった。
甘いものを食べれば「そうゆうところはやっぱり女だよな」と言われ、
スケべな話を共有すれば男の仲間として認められた。
「トイレはどっちを使っているんですか?」
「お風呂はどちらに入りますか?」
「SEXはどうしてるんですか??(名刺交換して5分も経たずにセックスの話を聞いてくるあなたはどんなセックスしてるんですか?と聞きたい)」
冗談抜きで今までに何万回聞かれたかわからない。
常に男女どちらかであることを求められ、どちらでもあれない自分の居場所を見つけることができなかった。
それは当事者間でもそうだった。当時は手術をするともしないとも決断できず、ホルモン注射も乳房切除の手術も受けていなかったのだが、「手術をしなくても楽しそうに生きているフミノくんを見て勇気をもらいました!」というメッセージの一方で「手術なしでそんなに楽しそうに生きているなんてお前は偽物だ!中途半端なおまえが性同一性障害を語るな!」という自称本物の当事者の方からの、そんなメッセージも後を絶たなかった。
日本という国が多様な性に関しては不寛容なのかもしれない。世界のどこかに行けば性別にとらわれずに生きていける場所があるのではないか…。
そんな淡い期待をもって、逃げるように飛び出した海外でさらに現実を突きつけられることになる。
SheなのかHeなのか?
Mr. なのかMrs.なのか?
ムッシュなのかマドモアゼルなのか?
アミーゴなのかアミーガなのか?
ビザの取得のため訪れた大使館では国籍より前に性別を問われ、
フランスで乗ったタクシーでは行き先よりも先に性別を尋ねられ、
ナミビアのヒンバ族に会ったときも、言葉が全く通じない中、性別のことを聞かれていることだけはわかった。
極め付けは南極船に乗ったときのこと。男性と部屋をシェアするのか、女性と部屋をシェアするのかで揉め、最終的には一人部屋にさせられた。
僕はこんな世界の果てに来てまでもこの性別のことから逃げられないのか、、、いや、性別だけではなく、世界中どこに行っても自分からは逃げられない。そうであるならば、移動をして場所を変えるのではなく、今いる場所を生きやすく変えていくことが大切なのではないか。これが今の僕の活動の原点だ。
あの旅から10年経った今、見える景色は大きく変化した。それはLGBTに対する認知度が底上げされたという社会の変化もあるだろうし、手術やホルモン投与、また様々な経験で心身ともに変化した僕自身にもあるだろう。しかし変わらない現実があるかぎり、僕の旅にはまだまだ長い続きがありそうだ。
小説「ヒゲとナプキン」 #1 https://note.mu/h_ototake/n/nd428808e05bd
小説「ヒゲとナプキン」 #2 https://note.mu/h_ototake/n/ne593fea2f70b
小説「ヒゲとナプキン」 #3 https://note.mu/h_ototake/n/n631beab438e5
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小説「ヒゲとナプキン」 #5 https://note.mu/h_ototake/n/n3c34a624011e
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