2022.2.24

悔やんでもあとのまつり

7年前と同じように寝れないでいる。

もう日付は変わって2月25日。

7年前、僕は北海道大学を受験しに札幌にいた。

とても寒かったのを覚えている。


高校3年生の時から北海道大学を目指して、三度目の受験だった。

高校3年間は部活動を頑張り、勉強なんて少しもしなかった。だから、浪人覚悟だった。

現役の受験前、父親と喧嘩して家出をしたのも悪かった。その時に見切ればよかったのに。

一浪目は本気で勉強してなかった。
いや、点数は上がったけど、全然身に入ってなかった。まあ、落ちるでしょって感じで受けてた。

センター試験後に親父が酔っぱらって暴れた事件もあった。その時に(ry

二浪目はバイトした。
10月までバイトして、バイトはすごく楽しかった。

でも、12月くらいから急速に両親の仲が悪くなって、親父と姉の関係も悪化していった。

精神をすり減らして挑んだセンター試験。

大失敗だった。

北海道大学には正直二次で成功したとしても受かるか落ちるかの瀬戸際の点数。

家庭は親父の不倫が発覚し、大荒れ。

もう見切った。

大学に合格して、家を出ようと思った。

でも、北海道大学を受験しないで諦めるのは一生後悔するから、後期に落ちないところを受験しようと思った。

この選択自体は納得しているが、その後の人生にはあまり納得していない。

まあ、ともあれ、本気で勉強した。

朝から晩まで、ほぼ夜中まで勉強した。

不安で寝れない日もあった。

でも、みるみる実力がついていくのがわかった。

受験前日、僕はホテルにいた。

少し英単語など、各教科の復習をして、寝ようと思った。

あまり寝付けず、音楽を聴いた。

ミスチルのファンファーレ。

悔やんでもあとのまつりだ

明日は精一杯頑張ろう

なんとか眠った。


当日、

手応えはあった。

これで落ちてたらもう、思い残すことはない。

そんな回答を作り上げた。

特に英語の英作文では、受験対策でやっていた疑似問題と似た問題が出て、バッチリはまった。

英語が苦手だった僕は狂喜した。
(受験中は静かにしましょう)

数学も五問中四問は完答していたし、得意の理科も上々だった。


結果は、



不合格。

センターの失敗が響いたんだな、そう納得させたし、納得できた。

あの状況で、センター試験のこれ以上の結果は出せなかったし、諦めよう。後期はしっかり合格してきちんと進学しようと決意した。

後期の岩手大学はなんとか受かった。



入学後の6月、試験結果の開示があった。

6.5点

合格まで足りない点数

北海道大学は配点の比率を出願時に決められて、僕は生物の配点を高めにしていた。

よく結果を見たら、化学の配点を高めにしていれば受かっていた。

悔しい。

ずっと生物は得意だったから、生物の配点を高くしていたけど、最後のほうは化学のほうが少し自信があった気もした。

こんな小さなことで結果が大きく変わるなんて、人生は残酷だと思った。


そこから僕はつらいことで頑張ることをやめた。

というか、いい加減に過ごした。

勉強も私生活もいい加減で自暴自棄だった。


芯がなく、おもしろみのない人。


そんな気がする。

そして大学、大学院を卒業し、就活に失敗して卒業後に入った会社で今、岐路に立っている。

自暴自棄だった大学生活でも、やりたいことが見つかって、できると思ったこと。それを実現するためにこの会社に入った。

でも、研修が終わって言われたのは少し違う方向の辞令。

たぶん、その辞令にそのまま従ったら、この会社をやめるだろう。

支社がある岩手に転勤だけど、まだ帰りたくない。

やりたいことができてないから。

別に岩手に行くのはかまわない
寧ろ戻りたい。

でも、今帰っても惨めなだけだ。

働くことで回復させた自信がなくなると思う。言い訳してしまうと思っている。

だから、きちんとしたいことをしたいと、話したい。

それが後悔しない唯一の方法。

これを話さずに受け入れたら、きっと僕はまた自信をなくす。

自信をなくした自分に会いたくなくて、寝れないでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?