夢と現実は同じフィールドにある
「夢と現実」はどこか分断されたものだと認識していた。
小さい頃からどこか冷めた子どもだった私は、大きな夢を見ることもなく、自分の現実から背伸びすることもなく、過ごしてきた。
大きな夢は、自分の現実とはつながってない。そう思って夢を見ることすらなかった。手が届かないなら諦めるしかない。そんな省エネモードで暮らしてきた。
だけど、最近、ある方とお話をして気づいたことがある。
それは「夢と現実は地続きだ」ということ。
バケツの水をぶっかけられたような衝撃。夢は描かないと現実にはならないし、手が届くと信じて行動すれば実現するのだ。
夢を自分のフィールドに持ってくることなく、遠ざけていたのは自分の方だった。
「はずした選択肢」
同時に、「やりたい」と思っていたことは、現実から導き出した「やるべきこと」だったのではないか?どこかまだ自分にストッパーをかけている?そんな思いに囚われはじめたとき。
たまたま漫画「君に届け(椎名軽穂)」のピン(主人公、爽子の担任の先生)の名台詞を思い出して、「はずした選択肢」について考えてみた。
年齢や仕事、学歴を考えて、諦めた選択肢、出てくる出てくる。ずっと忘れていたものから、一瞬考えて捨てた選択肢まで。
我ながら、多すぎて笑うしかない。スキルや経歴は度外視したものなのだけど、ここで少しチラ見せしてみる。
・ヴィンテージショップで働きたい
・いぶりがっこの製造者になって地元の産業・文化を残していきたい(それゆえに当初農大への進学を考えていたくらい)
・雑貨屋さんのオーナーになりたい
・書店でアルバイトしてカバーをつける技術が欲しい(なぜかカバー)
・ファッション業界で働きたい。オシャレの楽しさを伝えたい!
・アロマ×本を掛け合わせて紹介したい
・地元の文化を残す活動がしたい、職人になりたい
・パーソナルスタイリストになりたい。服のコーディネートをして困ってる人をおしゃれにしたい
・すべての人が学びたい時に学べる環境を作りたい
・図書館や書店に住みたい
・自分の娘にマイヴィンテージを譲りたい(※娘はおろか、旦那もいません。笑)
ちょっとわけわからないものもあるけど……。
合わせて、自分の原体験についても考えてみた。すると、「はずした選択肢」は実は自分の根底にずっとあったものだった。
・小さい頃から工夫することが好き。
お下がりのビッグサイズのパーカーを当時流行っていたストリート系っぽく着てみたり、お下がりのアーガイル柄のベストをシャツとデニムスカートと合わせてトラッド系にまとめたりしていた。
お下がりを工夫しながら自分のものにしていく経験があったから、ヴィンテージや流行に怯まずいろんな服を着て楽しむことができていると思う。
当時、ぽっちゃり体型だったので、スタイルよく見えるように小さめのトップス×大きめボトムを合わせるようになったのもこの経験から。
雑誌やカタログからお気に入りコーディネートを選ぶ遊びをよくしていた。友達と買い物に行くときも、自分より人の服を選びがち。
ファッション以外でも「ないものはつくる」精神で、幼少期はモビールや透明シールをボンドや習字紙で自作していた。
あまり贅沢な暮らしではなかったけど、工夫することは毎日をワクワクさせる起爆剤だった。
・食べることが好き
好きな食べ物が白米、焼き鳥、漬物、たこわさび、ウニ、じゅんさい、あんこ、梅干し、などなど。とにかく渋いものが小さい頃から好きで、伝統的に作られている食文化をなくしたくなかった。
未知の食べ物があると挑戦したくなるたちで、イナゴや蜂も食べたことがある。
その延長で匂いにも敏感で、季節の変化を匂いで感じとるタイプ。
・本がないと生きていけない
0歳のときに母が図書館のカードを作ってくれていた。月2回は図書館に通っていた。
実家の本・雑誌・漫画は読破。それだけでは飽き足らず、友人の家に行くと友人の本や漫画を読んでいたので、大人たちに心配されていた。笑
今も家には本がたくさんある。ベッドの下は本で埋まり、はみ出た本たちが本棚に、さらにクローゼットの一部が本で埋まっている。よく友人たちにびっくりされる。
自分本位で上等
社会人になってから、いやその前から「人の役に立つ」ことを重視していた気がする。
けれど、いつもどこか「自分」が置いてけぼりになっていた。「人の役に立つ」から頑張っていたけれど、自分が心をえぐられるようなことも多かった。
「夢と現実は地続きだ」と気付かされて、「はずした選択肢」をなぜはずしたのかを考えてみた。
「人の役に立たない」「自分本位」「自己満足」じゃないか?
こんなの、自分のわがままでは?他人は誰も求めていないのでは?
いつも私の中には冷静に傍観するもう1人の冷めた自分がいて、生きるために「人の役に立つ」必要があると思い込んでいた。
でも、「人の役に立つ」が先行しなくたっていいのではないか。
「自分がやりたい」を突き詰めて行動した結果が、「人の役に立つ」でもいいんじゃないか?
順番は逆なのかもしれないけど、「自分」が置いてけぼりになるのはもうごめんだから、「自分」を優先にしつつバランスを取っていきたいと思う。
最近は、地元に「ヴィンテージショップのような、雑貨店のような、本屋のような、ギャラリーのような……文化と学びが交差する場所を作りたい」となんとなく考え始めているところ。
経営スキルも言語スキルもほぼ皆無だから、学ぶことはたくさんあるし、進路変更も全然ありうるけど、忘れないうちに書き記しておきます。