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つい周りに合わせてしまうあなたへ。一緒にもがいてみようよ。

ずっと周りの反応を伺って、求められているキャラを演じてきた。



中高生のときは「なんとなく空気が読めないイジられキャラ」だった。

イジってもらえる=構ってもらえるので(そもそもこの認識がダメだったと今ならわかる)嬉しい反面、どうしてもその立ち位置を受け入れられない自分もいた。

でも、それを「嫌だ」と言えなくて、周りの期待通りにふるまっていた。むしろ「イジってください」とまで言っていた。ドMかよ。

(余談だが、この時点で、空気が読めないんじゃなくて、空気を読みすぎていじられキャラになっているのがおわかりだろうか?もはや最初のキャラ設定が崩壊している)

不思議なことに、大人になっても、どこに行っても、なぜかイジられてしまう。声としゃべりが特徴的なので、よく同僚に真似されてしまう(これがまたよく似ている)。

「元気だよね」「いつもニコニコしてるよね」と言われれば、おもしろくもないのに愛想笑い。逆に失礼なのかもしれないけど、もはや長年のクセでつい笑ってしまう。


周りの空気を読んで読んで読んで、周りに合わせて「嫌と言えない」、あなたもそうじゃない?



こうやって、キャラを作ってきたからなのか、私は私自身の気持ちがいまいちわからない。

うーん、「悲しいな」「楽しいな」くらいはさすがにわかるけど、映画を見て感動するシーンでもらい泣き、みたいなことはほとんどない。

楽しくてテンションが上がっていても、自分ではあまり認識できていなくて、周りに「今日ごきげんだね」と言われて初めて自分のテンションの高さに気づく。

自分の気持ちがいまいち落とし込めてないからなのか、周りの人へ「何かをしてあげよう」「役に立ちたい」みたいな気持ちも希薄だと思う。「相手を知りたい」という気持ちも薄い。

なんだか、全体的にドライだよねえ。

そのせいか、人とのつながりを上手く築けない。そんな自分にみじめさを感じていた。



こんな状況に、ポンと打開策をくれたのは、なんとTwitterのフォロワーさんだった。

先日のツイート。

すると、フォロワーさんから「まずは自分を愛で満たした方がいい」とのアドバイスが。以前、他の知り合いにも「自分を満たさずに、相手を満たそうなんて無理だよ」と言われたことがある。

コロナ禍に入ってからは、自分と向き合う機会も増えて、「いやいや満たしてるだろ?」と思っていたけど、実際のところ、満たされている実感はなかった。

まずは、相手のgiveに矢印を向ける前に、自分のgiveに矢印を向けてみよう。

さらに考えを巡らせてみる。

そういえば、嫌だと思っていたのに、イジられキャラをやめられなかったのって周りのせいだっけ?

自分が嫌だと言えなかっただけじゃないか?

たとえ嫌だと言わなくたって、さーっとフェードアウトだってできたはず。


そうか、イジられキャラをやめられなかったのは、自分の選択だ。

周りに流されないで、嫌なら嫌と言ってみよう。


普段の会話でも、反論がとても苦手で「そうですねえ……」なんてつい言ってしまいがちだけど、自分の意見が周りと違ったっていいんだよね。

もちろん、頭ごなしに否定してはダメだけど、「自分はこういう意見だけど、そんな意見もあるんだねえ」と認め合えればいい。

周りに流されず、自分の気持ちをしっかり述べられたら、それは自分への愛の注ぐことになるのかもしれない。自分を満たす小さな一歩になるかもしれない。


とはいいつつ、ずっと周りに流され続けてきた私たちだから、「嫌だと言う」それだけのことがなかなか難しい。

だから、まずは「こんなことが嫌だったんだ」「なんで今日は調子がいいんだろう?」と問いかけて、自分の気持ちを言語化してみよう。

言語化して、自分の気持ちに輪郭を持たせてみよう。ぼやっとしか見えなかった気持ちを少しずつ掘り起こそう。


周りに流されて、自分の気持ちが見えなくなってしまった私たち。「嫌と言えない自分」を卒業するために、一緒にもがいてみない?


#新年書くチャレンジ に参加中 。 今日は、Day10「ことしはどんな自分になっていたい?」でした!ようやく無事にDay10まで完走!
明日からは何を書こうかな。

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fumi
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