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立場を違えて見えたもの

こんばんは。
むすびです。
今夜のテーマは立場を違えて見えたものについて語ってみたいと思います。

私は先日から書いてる通り、乳がん経験者でいわゆるがんサバイバーというものです。
私の抗がん剤治療が終わって、やっと治療がひと段落だね、なんて言ってた矢先、
母の末期癌が見つかりました。

これには大ショック。だって、母は自分にとってとても大切な存在でしたからね。
しかも、末期癌。姉のところに孫も生まれてやっとおばあちゃんになれたのに。
本人も本当にショックだったと思います。
私は自分のがんが見つかったよりもショックでした。

お母さんが死ぬ

これは私にとって想像したくない未来でした。
でも、まぎれもなくその日は音もなく近づいてきます。
母は肝内胆管がんで、見つかった時にはもうすでに大きな動脈を巻き込むように腫瘍が大きくなっていたので手術不能でした。
胆管がんで生存率を左右するのは手術できるかできないか、です。
信じたくなくて、諦めたくなくて、セカンドオピニオンで柏にあるがん研究センターに辿り着きました。

人間万事塞翁が馬

まだ当時70手前の母が、1人で病院に行っていたらがん研には辿り着かなかったでしょう。医師に言われるがまま数ヶ月でその命を終えることになったと思います。
なぜ、がん研を頼ったかというと、治験があったからです。
乳がんの患者会で治験の話をチラホラ耳にしていた私はセカンドオピニオンの重要性と治療の選択肢について情報を得ることができていたのです。
私のがん経験、無駄になってないと思いました。
うまいこと母に合う条件の治験に参加できれば母の命の影が延びるかもしれない。
一縷の望みをかけて肝胆膵内科へかかりました。
結果、母は2019年から2022年まで生きることができました。
どうやら治験のお薬が偽薬ではなく本物の薬だったようです。
3年、ちょうどコロナ禍で家族みんなつらかったけどみんなで一緒に乗り越えました。

自宅療養に切り替えて

がん研柏でもうこれ以上できることがないと言われ地元の病院に転院してきました。
その後は体調の変化で入退院を繰り返しましたが、退院の合間を縫っては出かけたり、家族でバーベキューしたり、旅行に行ったりしました。写真が趣味だった私はとにかく、とにかく母の写真を撮り続けました。最後の数ヶ月間は自宅療養に切り替え、訪問診療を受けるようになりました。
この時も本当に本当に色んな人に助けられました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
母は「死ぬ時は自分の家で」というのが希望でした。
まだコロナ禍だったので病院だと自由に会ったりできなかったところ自宅療養に切り替えたため、友人や親戚とお別れすることができました。
今これを書いてても涙が出るのでこれ以上書けないけど。
家族として、できること、精一杯やり遂げたと思います。

がん患者にあれこれ求めるのはやめよう

私は、がん患者であり、がん患者の家族でもある。立場の違う2つの視点から心を観察することができました。
先日投稿した記事に下記のことがありますが、これもちょっと似たような思いがあって。

キラキラ溌剌としている他のがん患者さんを見ると、患者本人の病気の向き合い方についてもう明るく開き直るしかないじゃん!とかそういう態度を患者本人に求めてしまうんですよね。
他人の向き合い方と、本人の向き合い方は全く別のものだし、その人個人だけの問題です。周りがガヤガヤ言うことではないんですよね。
焦ったい気持ちもわかるけど、なんでそういう受け止め方なの!と思ったりもしたけど、それを求めるのは酷ってやつです。
もし、家族にがんが見つかって、その人を支える立場になったら、絶対に絶対に他のサバイバーと比べないであげてください。
病気の受け止め方もその人の個性です。
きついこともつらいこともたくさんあるけど、本人の気持ちを尊重してほしい。
そう心から願ってやみません。

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