見出し画像

チャントっていいな

あの2016シーズン、"ダンナと一緒に"という条件付きではあるものの、スタジアムに行くのが楽しくなった。リーグ戦、カップ戦、天皇杯、お互いの仕事の都合が付けば、ホーム限定だけど足を運んだ。

選手もだいぶ覚えたし、きちんとは理解できていないものの、試合の状況に一喜一憂するようにもなった。初めての"推し"をなかなか見ることができず、寂しさも感じた。

メイン側在住のチャント女子


メイン側で観戦していた時のこと。真後ろから、とてもかわいい歌声が聴こえてきた。

チャントだ。女子が、チャントを歌っている。

しかも、どのチャントもバッチリ歌えている。そして何より、声がかわいい。怪しいおばさんだと思われたくないので振り向いて確認はしなかったが、ぼっち観戦のようだ。

なんていうか、いいなって思った。素敵だなと。

「私も歌えるようになりたいな」

チャントの動画を見て、歌詞を調べて、少しずつ覚えて、ゴール裏に合わせて口ずさんだり、普段歩いている時に、そのテンポにあったチャントを脳内でリピートさせたり。

どの席でも、どの場所でも。サッカーへの、チームへの、選手への愛を、叫んでいいし囁いていいし心の中で育んでもいい。

チャントを歌えるようになって、また一歩チームが近くなったというか、愛情が深まったというか、ちょっぴり誇らしくもある、そんな不思議な感じ。


そして気になる、敵のチャント


ダンナが「ゆったりじっくり観たい派」なので、アウェイ寄りの席になることもしばしば。(ちなみに、若い頃はゴール裏民だったらしい。「じっくり観たいから移籍した」と言っていたが、体力的限界(=座りたい)だと私は確信している…!)

すると、特に名古屋側が静かだと、相手チームのチャントが響いてくる。鳴物の種類が豊富だったり、同じメロディだけどテンポが違ったり、耳に残るリズムだったり。

まぁ私は名古屋がダントツでカッコいいと思っているし大好きなんだけど、後押しする気持ちや、チーム、選手への愛が込められているチャントって、やっぱりいいな。


好きになったからこそツライ、厳しい現実


そう、2016。

勝利の二文字がかなり遠かった。

最終節の前日、ご飯屋さんで紙とペンを取り出し、全試合のカードとか順位表とか書いて、どういう場合なら残留できるのかと、必死に、それはそれは必死に考えた。水のピッチャーをおかわりして、テーブルに置いてある漬物を完食してもなお、

「どうすれば、残留できるの?」

とダンナに聞き続けていた。子どもか。


翌日。あんなに足取りが重い帰り道は初めて。あの日に至るまで、自分は厄病神なんじゃないかと疑うほど勝てなくて、何度も足取り重く帰ってたけど、比じゃなかった。


(それからのアレやコレ、心が何回えぐられたかわからないぐらいツライ時期のことは、ここでは省略しますが…)

そりゃそうなんだけど、歌えなくなっちゃうチャントがたくさんあって、それも寂しかったな…。翌シーズンには、また新しいチャントも生まれるんだけどね。

それだけ、思いが、思い出が詰まっているんだね。