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家探しは自分探し

暮らしって悩むことばかり。
日々のルーティンにも家庭や仕事にも、、細かく挙げていくとほとんど無限に出てくる悩みも、ざっくり分けるとふた通りあると思う。

ひとつは答えがだいたい決まっていて、時間や人手やお金などがあれば解決できる課題(とはいえそれが無いから悩むのだけど)。
もうひとつは正解のない悩みごと。どうすればいいのかの前に、そもそもしたいことが何なのかも分からないというモヤモヤした悩み……。私にとって家探しというのはこっち側でした。




数年前にコロナ禍がやってきたとき、仕事が2ヶ月休みになった。おかげで日々の生活について考える余裕ができたので、思い切って田舎に戻ることにした。

新しい暮らしを作るのは本当に大変なことばかりで、いろんな人に迷惑をかけてしまったけれど、とりあえずマンションに引っ越して新しい仕事も始めて、なんとか毎日の生活を回せるようになってきた。

知り合いも好きなお店も増えて、なにより会う人と話すことが増えた。まだまだ大変ではあるけれど、少なくとも以前よりはよっぽど、生活しているなあと感じることばかり。
自然と、やっぱりこの街で暮らしていきたいと思うようになっていった。


家探しそのものは、引っ越す当初からずっとやっていた。中古物件や空き家バンクの情報も見たり、新築もありかなと思って不動産屋さんやハウジングセンターに行ったり。
いくつか内見もしてみたけれど、なかなかこれだという物件には巡り会えないままで、なんとなく日々は過ぎていく。

無数の物件情報を眺めていると、いったい自分が何を探しているのかよく分からなくなってくる。
もちろん何LDKとか駅から何分とかの条件はあるし、インスタとかブログとかで見た誰かの暮らしを真似たいところもある。こんな家に住めたらという理想も、ほんとうはある。
でも現実の予算と物件とのマッチングを考えると、全く割に合わないことばかりだった。


中古物件というのはそもそも、誰かが手放そうと思ったタイミングでしか市場に現れてこない。そしてだいたいの場合、手放す理由にはなんらかの不満や不具合がある。一見ネガティブなことに思えるけれど、他の誰かにとっては暮らしの理想と一致する場合もある。

ところが自分には「どうしてもこういう暮らしがしたい!」というのがさっぱり無かったので、どんな家を選べばいいのかも分からない。こうして、モヤモヤと悩み続けることになってしまったのだった。

それでも、どうせ悩むなら楽しく悩みたいなと思ってはいて、物件情報を見ればリフォーム後の間取りを想像してみたり、空き地を見ればここに建てるならこの位置でと妄想してみたり、気をつけた方がいいポイントを調べたり、欲しい設備を調べたり家電の寸法を測ったり、素敵な家の事例をブックマークしたり……。
ああでもないこうでもないとやっているうちに、そのまま何年か経ってしまった。




そんなこんなで過ぎていったある日に、フミクラの家と出会った。

はじめて内見したときに、暮らしの理想や身の回りの現実を飛び越えて、ここに居たいという思いがスッと腹に落ちてきた。このままでは住めない状態にもかかわらず、ここなら暮らしていけるんじゃあないかなとなぜか思えるほどに。

「書斎のある古民家で暮らしたい」というコンセプトも、家の掃除や片付けを進めたり、具体的な生活についてあれこれ考えたり、改装計画を進めたりしていくなかでの着地点だ。
まだ住んでもいないのだけど、この家と出会ったことでだんだんと、でも明らかに、暮らすことへの意識は切り替わっていった。

それはひとつ前に書いたように、この家を「何十年と大切に使いながら、この街で暮らしてきた人たちが確かに居た」ことを感じたからかもしれない。


結局のところ、今まで探し続けてきたのは「この先どんなふうに生きていきたいの?」ということなのだった。

なりたい自分がようやく定まったことで、モヤモヤと悩むことは少なくなっていった。ここからは、これからの暮らしのためにどうやって時間を使うか、どこまでお金をかけるか、悩むことができる(それはそれで大変だけどね)。

家との付き合いはこれから先、何十年と続くことになるはず。少なくとも10年20年、そしていずれ自分たちがこの家から居なくなる先までも見据えて、その時々のできる範囲でより良い選択をしていきたいと思う。

暮らしは選択の積み重ね。なにごとも土台が肝心なのです。


2024/06/08  はじめての現調でドキドキしながら

#なりたい自分

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