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5年ぶりの両親来勝

そんなに長い間、両親が十勝に来ていないとは思いませんでした。最後に母が来たのは2018年3月の長女の小学校卒業式。その後、私と娘たち2人は札幌の両親と暮らすことになったので、私が帯広で仕事の時には両親は札幌にいてもらわなければなりませんでした。それから5年。娘たちはふたりとも高校生になり、生活のほとんどを自分たちでこなせるようになりました。母もこれなら家を空けても大丈夫と思ってくれたようで、ついに5年ぶりに十勝へ遊びに来ることになったのです。特に母は、帯広へ来たと言っても子守りのためで、ほとんど案内したことがありませんでした。「遊ぶために来る」というのは初めてのことだったのです。


「クリンソウ」母がGoogleレンズで調べてくれた

「旅行というのは究極の平和産業だ」と誰かが言っていました。私も、心から同意します。お金も時間も無ければ旅に出ることはできません。自分の健康はもちろんですが、子どもやシニアなど家族の誰かにケアが必要だったり、いつケアが必要か不安な状況だと、出かけることは非常に難しくなります(特に女性はその傾向がありますね)。災害や戦争のようなことがあっても、当然家を空けることはできません。それらの全てがクリアになって初めて達成できるのが旅行です。地域も家庭も平和でなければ、旅行に出かけることはできないのです。

クロユリの群生を見つけて父が喜んでいた

だから私は、畑ツアーで受け入れるお客様のひとりひとりを大切にしたいと思っています。その旅行に出かけられる背景に、どれだけの物語があるのか計り知れないからです。たとえご本人たちにとって毎年恒例の旅行だとしても、それが来年も同じように続くとは限りません。あれが最後だったね...となるかもしれないその時間を、できる限り良い思い出にする協力をしたい、そんな風に思っています。

大学時代4年過ごしたアパートは健在

「ふみちゃんちを見に行きたい」そう両親が言いました。帯広で子どもたちを育てた家は、子どもたちの教育資金に換わりました。買い物に行ってもらったスーパーや、お留守番の間に母がソフトクリームを食べたカフェ。懐かしい風景を眺め、思い出の残る更地の前をゆっくりと走り抜けました。通りには、いくつかの新しい住宅も建っていて、年月を感じます。
大学生の時に住んでいたマンションにも行きました。ハイエースに荷物を積んで札幌から引っ越した日、両親を見送って一人残った部屋で涙したことを、今でも鮮明に覚えています。それ以来、学生時代に両親を帯広に招いたことは無かったと、今回言われて初めて気が付きました。結局、学生時代は自分のことに忙しく、その後は仕事と子育てで忙しく、今まで親のことを気にかけたことが無かったということのようです。40歳を過ぎてようやく、私にも両親を大事にしたいという気持ちが芽生えました。他の人よりずいぶん遅いかもしれないけれど、人間として少しは成長できたということなのかもしれません。

次に来た時のために、北の屋台を視察

そんなわけで、私たち家族にとって特別な2泊3日。両親は早々に運転を辞めたので心配していましたが、路線バスでも楽しんでもらえるとわかったのも発見でした。今度はバーベキューもしたい、お世話になったお寿司屋さんにも連れていきたい、ガーデンにも行きたい…。これを機に何度も来てもらえるよう、また声をかけたいと思います^^

父がどうしても食べたかった、とん田の豚丼


料理好きの父がよく使うカブとヤリイカが繊細なお料理に ビストロカリーノ
市場で朝から握り寿司
美味しくて、ちょっと楽しい帯広らしいお店。蔵戸
卵の自販機体験もしてもらった
母は、驚くほどよく食べた
どこへ行ってもコリンゴが満開だった。次はどの季節に来てもらえるかな。

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