たとえばこんなトレーニング。
以前、ある小説誌で書評を連載していたことがある。
引き受けるにあたっては、けっこうお気楽だった。書評くらい、いくらでも書けるだろ、と思っていた。しかも小説しばりの書評だったので、普段読むことのない小説を仕事にかこつけて読める、とたのしみにしていた。ところが実際にやってみると書評は、とにかく大変でむずかしい仕事だった。
なんとなく「今月はこれで書こう」と思って読みはじめても、ぜんぜんおもしろく読めない小説だったり、ほめるところの浮かびづらい小説だったりすることもある。そうすると別の本を選びなおして読み進めざるをえず、そして他の評者も選びそうな話題作は避けたい気持ちもあり、「当たりくじ」を引くのがなかなかむずかしかった覚えがある。また、どうにかがんばって「当たりくじ」を引いたとしても、それをどう語っていくのかが、むずかしい。とくにぼくの場合、語ろうとすればどんどん話が長くなるので、書いたものをいかに削っていくか(削ったうえで話を成立させるか)が、毎回大変だった。
ただ、そうやって仕事としての書評を経験していった結果、いわゆる書評集をたのしく読めるようになった。紙幅のかぎられた書評コーナーのなかで、いかにしてその本を語り、背景を語り、読んだわたしを語っていくのか。書評というジャンルには、そこにしかない技術がたくさん詰め込まれている。
で、これはまったくの思いつきなんだけれど、文章の論理展開に難のある人や、構成力に不安を感じている人は、いい書評集を読めばいいんじゃないかと思う。それが面倒ならば、こちらのサイトからいろいろ読んでいけば。
そして自分が(できれば最近)読んだ本についての書評を読んでみる。ほんとにトレーニングのつもりでやるなら、「自分だったらどんな書評を書くのか」を考えたあとで、できたら実際に1000〜1200文字程度の書評を書いてみたあとで、だれかの書評を読んでみる。素材は同じ、「あの本」だ。それでも「その道のプロが書くとこうなるのか」と驚くのではなかろうか。「こんなところから話を始めて、ここに着地させるのか」と。
じつは本日発売の週刊新潮に、燃え殻さんの新刊『愛と忘却の日々』の書評を寄せたのだけど、いやはやぼくはいまでも書評に苦労する。書いたあと、「ああ書けばよかった」「こう書くべきだった」の反省がいちばん出てくるのがぼくの場合、書評だ。圧倒的に書評だ。
だからこそおもしろいと言えるし、機会と需要があればまたいつか、書評の連載をやってみたいと思っている。
燃え殻さんの新刊、ほんとおもしろいですよ。