会社を起こすということは。
時代のせいか、歳のせいか、あるいは住んでる場所のせいなのか。
ふと見渡して、あれれと思う。いつの間にやら気がつけば、友だちが「社長」ばかりになっている。知り合ったころには会社員だった友だちたちが、なんだかみんな会社を起こし、「社長」になっている。自分がそのひとりであることも手伝って、「社長」がえらいとはちくとも思わない。それでもまあ、ご苦労なことであるよ、と詠嘆するくらいの気持ちは持ち合わせている。
あたらしく会社を起こすとは、どういうことか。
たとえばある人が本日、Aという会社をつくったとしよう。昨日までの世界とは、「A社がなくても回っていた世界」である。そしておそらく今日だって、世界は無事に、A社とはなんの関係もないまま回っていくだろう。A社が明日つぶれたとしても、世界の誰も困らない。困るのは、A社を起こした当人だけである。
会社を起こすことの本質は、それがなくても間に合っていた世界に「あなたがいなくなったら困る」の利害関係者(ステークホルダー)を増やしていくことだ。しかもひとりやふたりではなく、何千、何万、何百万と。
そして、ほんとうに交換不能な「あなたがいなくなったら困る」の存在になるためには、「これまでになかった仕事」を手掛けるしかない。これまでにもあった仕事であれば、「あなたがいなくなったら、ほかに頼みます」で終わる。売れっ子であることと便利屋であることを混同してはいけない。
これまでになかった仕事のことをいま、ぼんやり考えている。